2012年1月31日火曜日

新しい縁起物を!




日光のお正月を楽しむ企画を考えている。


画像は宇都宮の郷土玩具である「黄ぶな」
縁起物という括りが厳密に正しいかは別として、地元の手仕事に想いを託せるもの、「ならでは」のものって日光に無いなぁと。


社寺の縁起物は、当然逸品として捉えるべきなのだろうが、それはそれとして、街なかの「ならでは」が無いものかと。


過去の掘り起こしを含めて、楽しみながら進めていきたい。


来年の正月に向けてプロジェクトメンバー募集中!

2012年1月30日月曜日

あっという間の一月。





年が明け、一月があっという間に過ぎる。
ここ数日は月の前半のおだやかな空気が嘘のように寒い。


「大晦日から正月にかけては、日光が一番日光らしい時間だ」などと色々な場で申し上げている。
そんな正月に賑わう日光も、一月後半のこの時期は、閑散としてる。


言い換えれば、凛とした空気の中に、ゆったりとした時間が過ごせる。という事でもある。


この時期の日光をより楽しんでいただく工夫を、考えたい。
そして、沢山実行したい。
大振りの企画が目立つが、小さな企画を沢山やること。試す事。
手数だと思っている。




画像は元旦の輪王寺三仏堂の前。

2012年1月22日日曜日

小さなリユニオン(2)




少し前のエントリで「定期的にリユニオンを繰り返すこと」を書いたけど、年が明けてからも実践中。というか、毎年恒例の大学同期の仲間での新年会である。
「かけがえのない」という言葉から最初にイメージするのは、この仲間なんだと毎回思う。

本当に楽しみにしている時間。私の中では今でも生き続ける大きな財産なのだ。
かなりおおげさに言うのならば、そんな感じだ。

……恥ずかしいので、この変にしておくか。

ま、お前らみんなTwitterFacebookやろうぜ、この野郎!
卒業時の計画通り、みんなで山形にシェアハウス作るぞ!この野郎!

と言う事で。

本に関するイベントやりたいね!






本に纏わるイベントについては何回か書いていますが、この秋に日光でも本に関するイベントがやりたいなと思っています。
あの、まあ、もうずっと思っているわけですけども。
今のところ、一人頭の中でイメージしているだけですので、それでは意味がありません。一緒にできる人に届くように、こうして書いてみます。

日光マルシェの中で古本のスペースがありますが、いつか独立して古本市をと思っておりました。
それ以外にも色々な企画を複合的に実行したいなぁ、なんて。
日光の街に少しでも文化的な時間を創り出して、貢献できればと。
そして、何よりも本好きの人達が出会う場となれればと思います。

…結果的に「やるべきだ」という結論に導かれるわけです。





という事で、この企画を楽しみながら一緒に造り上げていける仲間を大募集中です!
もちろん、予算もありませんのでスポンサーも募集中!(^^;


それでは、皆さん宜しくお願いします。


そんじゃーね!(ちきりん風)

2012年1月17日火曜日

黒い彼女


彼女は散歩が大好きだ。
1日2度の散歩を、それはもう心待ちにしているようだ。


彼女は時に聞き分けが悪い。
帰りたく無いと座り込む。


彼女は恋多い。
同種の異性に会うと興奮し、ついつい立ち上がって長時間見とれてしまう。


彼女はほんの狭い世界に生きる。
小屋のまわりか、散歩で訪れる公園、日中は玄関のタイルの上に暮らす。


彼女の住む家には、別の住人が「飼われて」いたが、数年前に死んだ。
彼が死んだ時、その小さな狭い世界に生きて幸せだったろうかと考えた。


彼女と一緒に散歩に出かけると、つい、思い出すのである。

2012年1月15日日曜日

震災以降訪れた東北〜忘れないために


買って少し置いておいたこの記録DVDを、やっと手に取って再生した。
あの日が蘇り、これまでを振り返りたくなった。

4月に日光市民活動支援センターさんの物資を届けに、石巻の幼稚園に行った。
5月の連休には先生のお伴で岩手の千厩〜陸前高田〜気仙沼〜石巻〜松島〜仙台と廻り、この時には「NPO法人陸前高田創生ふるさと会議」の発足会をオブサーブさせていただいた。
また、気仙沼の中心部を大学の時にお世話になった先生に案内いただいた。
その後、仙台には月一ペースで訪れている。
夏には日光ボラセンのお手伝いで福島の新地(当初は相馬予定だが当日変更になった)で泥かきをした。


10月には、やはり先生のお伴で千厩〜陸前高田〜大船渡〜釜石〜宮古〜山田〜田老という風に各地域を訪れた。
この時には、陸前高田の今泉地区での集会所設置の現場にお邪魔した。林業が盛んな隣町、住田町からの間伐材を利用した誰もが設営に参加できる集会所である。(これはまた別のエントリで書きたい)

それぞれ訪れた沿岸の被害が甚大な事は言うに及ばない。
だが、実は私個人として一番見たくない風景は、自分の住んでいた仙台市宮城野区の陸前高砂周辺や若林区の岡田や荒浜あたりだった。多賀城もそう。
かつて自分の生活の中にあった風景が、人々の生活が傷んでいるのを見たくは無かったのだ。
したがって、4月に石巻に向かう途中、多賀城のR45号沿いの津波被害状況は本当に衝撃だった。

これまで、書いたり写真を整理したするのさえ、心のどこかでずっと躊躇ってきたのだと思う。
しかし、忘れない為にも整理しながら撮った写真を選んでアップしようと思う。
今はグーグルのストリートビューでも道沿いにその様子を知る事ができる。
ここでは、私なりに撮った風景を選んで些細なキャプションを。
ご覧になった方の、「忘れない」為のほんのほんの一助となればと思う。

陸前高田(5月)

5月に訪れた陸前高田。街なかには流失した高田松原の松が積まれていた。

キャピトル1000の屋上より。45号線(北方面)を臨む。
キャピトル1000のロビー部分。
同建物の柱。躯体として耐えているものの、仕上げは軒並み剥がれている。
津波の威力が伺える。
看板の盤面下部が損壊している。津波の高さが伺える。


広田半島の広田漁港にて。
陸前高田(10月)

陸前高田の今泉地区にて。
気仙公民館の2階にて。気になってレコードのレーベルを見たら
ストーンズの「SOME GIRLS」だった。私も好きな一枚。
このレコードの辿った運命と、所有者の無事を考え祈った。
広田漁港にて。


気仙沼(5月)

魚市場の屋上にて。湾の入り口方面を臨む。

同箇所。「がんばっぺ気仙沼」の鯉のぼりが。
倒壊した気仙沼の地酒「男山」の社屋。
街なかの様子。

街角。ちょっとの高低差で被害状況が全く異なる。
上に同じ。この頃は未だ瓦礫の撤去作業は半ばだった。


大船渡(10月)

下船戸駅付近の港。岸壁より手前にも海水が流れ込んでおり、地盤沈下と思われる。

大船渡の街なかへ向かうR45号。
大槌町(10月)

大槌町の役場前の鉄骨造の建物。


奥の建物が大槌町の役場。

大槌小学校。津波の被害に加え火災が発生した。

田老(10月)

防潮堤にて。一部破損している箇所もあり、想像を超える津波の威力が伺える。

昭和8年の津波の際の慰霊塔。高台の墓地にある。

仙台(5月)

若林区荒浜付近のお堂「狐塚祠」かつて仙台に暮らした時にこの脇の道路を通る度に
「田んぼにあるこういう風景はいいなぁ」と思っていたのである。
沿岸にあって奇跡的に残っている。
画面奥の防砂林が歯抜けになっている状況は本当に胸が痛かった。
上記の場所をgoogleの航空写真で。真ん中の緑の点がお堂である。
その周りの田畑は津波の泥をかぶり茶色くなっている。


もちろん、もっと沢山写真におさめているのだけど、今回はこのへんで。
東北を訪れるたびに、お付き合いさせていただいいる方々とは、無事を確かめたり、情報をいただいたり交換したり、飲んだりしている。
私は、10代最後から20代前半を東北で過ごした。第二の故郷である。
恩返しの為にも、これからも、もっと東北復興の一助となれればと思っている。

2012年1月14日土曜日

一月のセントラルパーク。



1月13日(金)
日光のセントラルパークとも言える「だいや川公園」を歩く。




厳しい冬のはずが、少し穏やかな日差しと風だった。
地域に使われる優秀な公園である。
広大な敷地であり、個人的には未だ踏破できていない。










中心部、中心市街地の有り様や施策に疑問の多い日光にあっては、いっそこの公園が「日光の中心」で良いのでは?なんて思ってしまう。
(我々日光門前地区のまちづくりは地域のそのような形を担うべく活動を進めておるわけだが。。。)


何か「シンボル」であり「均衡」をもたらすのではないかと、イメージするのである。
位置的に見ても、日光の特性からも、そして現在とこれからの時代のニーズとしても的確ではないかと思う。
決して与太話のつもりは無い。




日光〜今市を結ぶ細い道路が拡幅し、今や幹線道路のような状況となった道の両脇にこの公園は位置する。
公園内の雑木の森のほとんどは道路拡幅の前から存在する木々だと思うので、正確には「自然を拓いて道路が整備され、残された広大な土地とそこにある木々が公園となり活かされた」という表現になろう。


幹線沿いであり、駐車場を擁しているため車でのアクセスは良い。
しかし、取り付いている歩道も充実しているため、日光側からはウォーキングやランニング、犬の散歩などの需要も大変大きく見られる。
そして、このアクセスには道路と平行して流れる大谷川、日光連山の勇壮な眺望などが付加されるため、地元はもとより、観光資源としても優れた景観、場所であるといえる。
日光においでの際は、立ち寄る場所の一つに加えて、是非散策していただきたいものだ。




さて、最後にひとつ付け加えたい。
この公園の周辺には雑木林やちょっとした田園風景が拡がっている。
そういう部分も併せて日光の資産であると考えるべきだ。
したがって、これらを塗りつぶすような、むやみな開発は制限すべきだと思っている。


そうやって、地域として考え、地域として大切にしていくべきものなのである。


(タイトルはMr.Childrenの曲名をちょっと変えて。)







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2012年1月12日木曜日

一本の樹。





近所にあった樹齢数百年の樹。
つい最近伐採されて、もう無い。


子供のからあった風景。


最近味わった一番大きな喪失感である。


豊かさが足りないのだ。街としての。

2012年1月11日水曜日

「風景資本論」を読む。




廣瀬俊介先生の「風景資本論」を拝読。
僭越承知で読みながら考えた事などを記しておきたい。

まず、第一章の見出しの「風景に投資する」という言葉でハッとした。
この概念、価値観は日本において圧倒的ウィークであると、日頃実感している。私の活動拠点である日光については課題が多い。これは、これまで失った物の多さと比例しているように思うが、同時にそれだけやり甲斐が有るというものだと言い聞かせ取り組みたい。
これからは物質的なものに加え「関係性」や「感覚」にもっと投資のシフトが起こることだろうと思う。その価値はむしろ物質を否定せずも、それを超えるのだと思う。
置き去りにされてきた価値観は、今や多様化した価値観の中にあっても、見直されるべき「公」なのだと思う。
思えば「震災で失った風景」というワードはマスコミ等でも多数出ていた。
「失ってわかる」という表現よりも「無意識のうちの日常の共有」であり、その重要性であり、それが風景なのだと考える。

重要なのは、何故風景が人間にとっての資本であるかの証明が「自然に身を置く」ことから「都市化と拡大」への流れの中でなされている事。
また、本書では飛騨古川やストラスブールなどの実状が、写真やスケッチと共に綴られている。中でもたくさんの写真で紹介されている飛騨古川の美しい風景は、実際に訪れてみたいと思う。

読後、地形の文脈、都市や集落の文脈、という言葉が頭に浮かんだ。
「生活景」を含め、価値観のシフトを期待し、また、自分にできる事は積極的に仕掛けていきたい。
都市化、科学時術。人間がどこまで拓いていくべきなのかを考えさせられる、自分にとって大切な一冊に出会えた。



廣瀬 俊介
朗文堂
発売日:2011-11

2012年1月10日火曜日

行程1:使い出す。



とりあえず使い始める。
使ってみてから考えようと思う。


(時々休んでも)走りながら、歩きながら考えるのだ。


今夜もso whatなのだ。

2012年1月9日月曜日

通りに張り付いて思う事。




正月の三ヶ日、それからこの連休に自宅であり家業であるカフェの前で「甘酒オレ」の販売をやってみた。もちろん、初めてのこと。
甘酒オレとは、通常の甘酒に牛乳を混ぜてちょっとマイルドに仕上げたもの。

場所は日光のメインストリートである国道119号沿い。東武・JR両日光駅から社寺に向かう道。
定点路上観察とでもいうべきか。やってみるとわかることがある。
通りを行き交う人々の流れや自動車の交通量、その速度や人々の視線の先。
思った以上の、というか、思いもよらぬ自動車の排気ガスの臭いだとか、日の射し方、陰り方、思った以上に陰った時の寒さだとか。

同時に「通りでものを売る」という行為として見ると、人との繋がりの大切さと面白さを実感できる。
場所柄日本全国から、世界からのお客様にたった一杯の甘酒であるが、その時間と味とその空間に齎す価値を提供できる喜びである。

閑話休題。
これらの「実感」については、いくつか前のエントリ「犬の散歩」で言いたかった事とほぼ同じ心境なのだと思う。

窓や扉の向こう側というのは、知っているつもりでそうでない。
つまり、感じていないということか。
やはり、外に出て感じてこそなのだと思う。

今年は歩く企画を沢山やりたいと思っている。