さて、なんとユルいタイトルであろうか。
「当たり前体操」の域かもしれない。
しかしながら、痛感している。
「ワーキング」と銘打ちつつ、検討・協議型で進められてきた会議で、年末からワークショップを行っている。
しかし、このまちの基礎資料の無さ(というか、散らばり具合)は本当に残念に思う。
例えば、研究の対象になっても、共有の機会は乏しい。
したがって、まちにも活かされない。
(今まで何度も学生さんたちから日光のまちづくりについてインタビューを受けたりしているけども、ちゃんと成果を報告してくれるのは半分くらいだし。。)
実は誰もこのまちの全体像を掴んでいない。
生活の中にある「感覚」だけで語っている。
もちろん普段の生活実感が大きく外れているわけではないのだけども、見回せる範囲はマチマチであり、共有し辛い。
横断的かつ見渡せる基礎が無いのだ。
今回を契機に、色々と集めて編んでいきたいと思う。
足を使って集めないとね。今年はまち歩きを何回もやりたいな。
さて、ワークショップでやる意味はもう一つある。
古くからの伝統を次ぐ「町」ではどうしてもフラットに意見を出せる場が少なくなる。
年代、序列に関わらず意見を述べる事のできる場はどう考えても必要だという事。
それから、実は私たちは「フォーマルな会議」と、「懇親的飲み会」という凄く両極端な環境にいて、まちづくりを(例えば小さくとも)具体的に進めるポイントの多くを逃しているのではないか。という見方ができるからである。
(地方のまちでは多くが同じ状況なのではと推測する)
そういう状況を打破するためにもこういう場は必要だし、定期(と言いつつ不定期になっているが…)的にやっている、まちづくりカフェみたいな話しの場も必要なのだと思っている。
場をつくっていくエネルギーがもっともっと必要であると痛感している。
何れにしても自分たちで考え、自分たちで動かん事にはどうにもならん事は明白。
話しましょう。調べましょう。練りましょう。やりましょう。
まち歩き!!
…あれ。手を動かす話しのはずが、足を動かす話しになった。
お後がよろしいようで。
というわけで日光門前のまちづくり、これからです。
力と知恵を貸して下さい。