2014年6月6日金曜日

5月のキャンパスの蒼さ。


5月に訪れた母校のキャンパスの蒼さを、梅雨に入った今、振り返る。




十数年前に学生時代を過ごした「あの頃」からは、だいぶ木々も育って、それこそ言葉通り「土地に根付いた」感じを受ける。

毎年人が集まり、去って行く。
組織や人の集合は一定ではない。

当然の事ではあるが、根本たる理念が生きているかいるかどうかが「根幹」である。

変わるもの、変えるもの。
変わらずにいるもの、変えてはいけないもの。

動かすもの、動かさないもの。


どう見極めるかなのだ。


「大学は都市の中にある公園のようであって欲しい」

ある先生の言葉である。
つまり、誰でもいつでも寄れる場所。 ということ。

卒業から遠く離れて、この言葉への共感は深い。

我々の卒業時には「リ・ユニオン」という事も仰っていた。











集団が持続するというのは、大変な事だ。
周辺が大きく変わるとき、または自らを変えようとするとき。
大切なのは初心に戻ってみる事ではなかろうか。何度でも。
それはきっと、過去への固執ではない。


…なんかエモーショナル。いかんね。

そう、そう。ポエムじゃ何も変わらんよ。
しかし、そんな事宣う悲しきアジテーターに告ぐ。


自分の思いを語れん奴には、サスティナブルな関係性なんぞは到底作れんぞ。


考えろ。
そして、考えるな。感じろ。


今夜もSo Whatなのです。

2014年6月5日木曜日

ピクニック、楽し。



 「せんだいセントラルパークピクニック」が月に1回程度のペースで開かれている。
昨年のこの時期からはじまって丁度1年。広瀬川の河岸周辺と、街なかなどを概ねコンバートしながらの開催。

 先週末も絶好の日和(夏日)の中、西公園の源吾茶屋付近にシートを張って、休日のお昼を楽しんだ。

 自宅近所のパン屋でそのためのパンを調達し、シートを持って、現地に向う。

 仙台の街はこんな楽しみ方が「自然」に感じられる。
 楽しみ方、過ごし方が風景の一部となる









 夏のバーベキューも、秋の芋煮ももちろん良いけど、「普段のちょっとした楽しみ」の一つとしてのピクニックは凄く意味のある事だと思う。

…まあ、難しく考える事ではなく、楽しみ、なのだな。





(今後も月イチペースで開催予定です。参加希望の方はご連絡を。)