長崎の「さるく」へ行きたいと思いながら数年経ってしまっていた。
ここで行かねば機を逸してしまうのではという考えから、また、これまで日光の門前地区で日光マルシェなどの時に実験的に開催していたまち歩きツアーをレールに乗せて行くための準備として、7月の初旬に「半ば思い切って」長崎へ。
(まあ、我ながら気まぐれ。まるでこのブログのようではないか。)
個人的に長崎へは2011年に仕事の関係で初めて訪れてから、またいつか訪れたいと思っていた。この時は時間が無く、さるくには参加できなかった。
市電の走る長崎の街なかは、港と地形と道路、そこに重なり合い蓄積された文化が残って(または再現されて)いて、感心すると同時に好感も持てる。
まちの醸す好感は、人とその生活により成立した姿である街並みによる所が大きい。
私なりに「さるく」で感じたポイントを大きく3つ挙げてみる。
(1)文化や地域資源の多様性、多重性をコースや企画に活かしている
まず、これについては、圧倒的である。まちの持つ文化的蓄積や、持つ「顔」が多彩である。
一日目は眼鏡橋とその周辺(街なか)を巡るコースで、商店に立ち寄り試食があったり、おくんちの彫刻の修復現場や、べっ甲の工房も覗けたりと、盛りだくさん味わえるものだった。
二日目は、グラバー園の周辺の散策であるが、グラバー園には行かないというコース。
どちらも単純に観光目的で行ったとすれば、眼鏡橋やグラバー園を観て、観光したつもり、知った気分になってしまい、そこで終える事が多いと想像できる。
しかし、周辺を丁寧に、地元の方の案内(言葉)で巡れる事は、本当の意味で「知る」ことであり、これぞ真の「観光交流」ではないかと思う。素晴しい。
歴史軸のみに特化しないツーリズムの良さも充分に体感できたと思う。
と、言ってもさるくのコースはまだまだ沢山ある。
まちの「引き出し」「強み」を活かす事は、官民協働で取り組める良いテーマのはずなのだが、それを上手に事業として運営できている例は、実は未だにそう多くはないのではないか。
公平性に固執せずに取り組む事もポイントだと気付かされた。
(2)「市民」の案内力を活かし、更に育てる
旅先での事をイメージする。情報を得て目的とするものは意外と決まりきっているのではなかろうか。
「着地型」などと言われて久しいが、ポイントは人にある。
日常の偶発性もつきものなのだという事は、まさに「体験」せねば分からない事だ。その体験を「価値」に昇華している点も、感心するばかりである。
場や人、情報を共有できることの価値は、今後更に見直されていくのではないかと思っている。
長崎では調子づくことを「のぼせもん」と言い、またそういう気質があるそうだ。来街者に「伝えることの楽しみ」を知った市民に火がつき、拡がっていった事も目に浮かぶ。
こうした市民の「自分のまちのいいところを知りたい、伝えたい」を追い風に、事業として位置づける事はまち歩きならずとも、大きなカギだ。
当たり前の事。しかし、様々な取り組みを見渡すと、意外と「独りよがり」な事業だったりするケースが多い事も、冷静になって直視すべきだろう。
当たり前の事がなかなか出来ないのも世の常である。
(3)仕組みの妙
プラットフォームになる必要性をちゃんと理解し、体現している。(ように見える)
少なくとも個人の観光では得られない情報や、立ち入れない空間へ行ってみること、そして(2)で述べた交流がある。「ここでしか」「ならでは」の一つだ。
不思議と一瞬でも、自分もまちの人間になったような錯覚に陥る。それは、そのまちに暮らす人々の生活や生活風景を強くイメージする事から来る錯覚なのだろうが。
起点は行政が仕掛けたものであっても、市民に浸透すれば、行政は黒子に徹する。
当初狙ったポイントはハズレなく、芯を捉えていたという事なのだろう。
そして、立ち位置を的確に理解していたからこそなのだろう。(つまり投資の仕方もと言う事になると思うが。)
2005年の前後、日本中を「情報」として駆け回った某巨大博覧会の、いわばウラで「さるく博」が組立て、開催されていた事を考えながら、約10年後の2014年の今に再び目を向けると、足下や地面を大切にする事の重要さがより一層深いものに感じられる。
「また来たい」という気持ちをどれだけ大切にできるか。
という事を、日光のまちづくりを考える時に常に頭に置いて来たつもりだが、なかなかそれを実行できる場や機会、プロジェクトを作れて来なかった。
今回の視察で、ヒントを沢山いただいた。これらを活かしたい。
…というわけで
また、長崎へは視察にお邪魔したいと思う。
さて、日光でのアウトプットへ向けて一歩一歩。