2015年2月11日水曜日

近所を歩く〜通町(とおりちょう)


仙台の住まいの近所、通町(とおりちょう)の界隈。




国分町通りからまっすぐ繋がっている通り。あの歓楽街を北へ真っ直ぐ進むとこんな風景。
青葉神社通りと言う。
仙台の「賑わい」の中心である南北軸だったそうだ。



おそらく昔のままの道路の幅であろう。

電柱が千鳥に立ち、歩行者、自転車、自動車が交錯する場面が日常だ。

でも、歩いていて「このままでいい」と思えるスケール感がある。
(ここでは)利便、安全の名の下に道路を広げるような事は、必要無いのではないか。という意味で。





氷屋、畳屋、理髪店、和菓子屋、映画館。そして、ダルマ屋。

もちろん、マンションや新しい住宅も混じり、コインパーキングも増えている。
しかし、面影を所々に残し人が行き交う様子は言い様のない安心感がある。


人口と土地/空間。これから先の事をイメージしてみる。
「置いていかれる」「滅びる」など「まちづくり」としての視点においてはアジテーションという「点」でしかないような論考が目立つ昨今。

いずれせよ、急激な変化は望むべきではないのだろうと、再び思い巡らせているところ。

21時には、お寺の鐘が鳴る。

2015年2月3日火曜日

大きく変わってしまうきっかけの大概が「点」である。

今回の事を「自己責任」として責め立てるのは、あまりにも冷たくはなかろうか。
しかし、一方で死が悼まれるのは当然の事にせよ、「勇気」といった言葉で賞賛されるのにも若干の違和感を覚える。
ただ、痛ましく、悼ましい。
本来、「社会」を考慮した上での意見か、「個」を考慮しての意見かという二分論でもないと思うし、この際、左右白黒のお安い「主義的」話しでもない。


敵か、味方かのような単純論では語りたくない。
見過ごしてきた難解さを孕んでいる。目をつぶって来たと言った方が的確か。


ひたすら心配なのは政情で、一本の線が引かれているのではないか、ということと、心の奥底でほくそ笑んでいるのではないか、ということ。
これまでの言動からすると、多分に疑わしい。
多くの指摘が或るとおり、今のところ勇敢に見える言動は、いざという時に何の役にも立たないのではないかと思う。つまり「今のところ」であり「その場しのぎ」なのだ。
これは何も最高責任者一人に限った事ではない。


いずれにせよ、私たちは小さい「個」である。
ふとした事で容易く命を落としてしまいかねない小さな存在である事を、本当はよく知っているはずの「個」である。
そういう悲しみは日常に転がっているではないか。


大きく変わってしまうきっかけの大概が「点」である。
歴史の中から一体何を学ぶのだろうか。


或る部分では細く長い、或る部分では大きな亀裂が延々と続いて行く。
そんなイメージは、やはり変わらない。
繰り返すが、敵か、味方かのような単純論では語りたくない。


思い出して欲しい。
常に予報を気に留めていないかぎり、もしくは常に傘を持っていないかぎり、天気は知らぬうちに変わっており、雨に降られる。


何かが今、ねじ曲げられている音がする。

真実か。それとも傘の軸骨か。

2015年1月30日金曜日

「今日の定禅寺通り」

バタバタと、ガサガサと動き、過ぎていく日常。
事務所から近い定禅寺通りをinstagramに投稿するのが、仙台にいる時の半ば日課のようになりつつある。

戦後の復興事業の一つとして、この定禅寺通りの拡幅とケヤキが植えられた事は有名なはずだが、約70年経った現在のこの通りを行く人々のどれくらいがそれを認識しているだろうか。
定禅寺通りや青葉通りが山手から広瀬川と直交して、指のように街手に延びていることが、都市にとってどれだけ潤いと豊かさをもたらしていることかと思う。

何気なく足を伸ばすのだが、たまには街並みを定点的に観察してみるのも面白い。

1月30日(金)13時頃


1月21日(水)13時頃

1月22日(木)20時頃



(本当は)時間によって、季節によってその変化を感じ、楽しむ事のできる贅沢な空間なのだ。

なかなか言葉にならないものをなんとか紡ぎ出すべく、今日もケヤキが作り出す大空間の並木を昼の時間にブラブラと歩きながら、一人間あれこれと考えるのである。

今夜も So Whatで。


追伸:仙台市のホームページに「仙台都市計画のあゆみ」というページがあるのだけど、時代がビュンビュン飛び、かつ(かなり)ザックリとマスタープランに至るまでの流れが説明されている。

2014年12月16日火曜日

北風と太陽



久しぶりのブログ。

ここ数ヶ月、北風と太陽の寓話を思い浮かべる瞬間がしばしばあった。

“まち”の懐の深さ。与える印象における「親しみやすさ」の重要性。
プロジェクトを遂行する上での、主に関係性における寛容性。

色々考えるも、つまり

目的に対して少数で尖らないこと。

なんだろうなと思う。
アプローチの違いはあれど。そして、フェーズの違いはあれど。

となると、様々な立場とその思いを見抜き、ささっと整理できることってホント大切。
(これらは成果として、それも即時的なものとしてなんとも言い表せない辛さ。)

奥田民生「イージューライダー」の最後の一節(五行ぐらい)が浮かぶ。

おおらかに、かつ、貪欲にありたい。
笑い飛ばしたい。

修行は、つづく。


今夜もSo Whatで。

2014年8月24日日曜日

みんなの居久根〜雑感〜




居久根の再生は、居久根(つまり樹木)そのものだけの事ではない。
暮らしやそれに関連する事抜きでは「再生」の道はないのだ。
むしろそちらを軸に考えなければいけないことは、去年からの「みんなの居久根プロジェクト」を通して良くわかった。

「楽しみ」って一見表層的に見えるけどそうではないんだよな、というのも、もう一つの実感である。

次の時代を担う世代で、またその次の世代の事を考えながら取り組めれば。




楽しみや喜びは大切だが、それを目的にした途端にプロジェクトは形骸化していく。
と、私は思っている。
燃料のようなものではあるが、ドライブする「本体」ではない。

さて、みんなの居久根 Goes on!!

2014年8月15日金曜日

堆積する




時間の積み重ねで堆積した、様々なものを感じる盆。

少し立ち止まって考えてみる。

普段歩きながら(もしくは走りながら)見えているものとは違った視座で見える。

大切にすべきは何か。
変わっていくもの、変わらずにいるもの。

少しゆっくりした時間の中で考えてみると、
余白を持たない論考には、力も魅力もない。魂も宿らない。
そんな実感がある。

連綿と続いて来た血脈と存在に感謝して。静かな休日が過ぎて行く。
(…と言っても仕事上の考え事は絶えないが。)

2014年7月30日水曜日

長崎で感じた事。〜さるくへ行ってきました〜

 
 長崎の「さるく」へ行きたいと思いながら数年経ってしまっていた。
 


 ここで行かねば機を逸してしまうのではという考えから、また、これまで日光の門前地区で日光マルシェなどの時に実験的に開催していたまち歩きツアーをレールに乗せて行くための準備として、7月の初旬に「半ば思い切って」長崎へ。
(まあ、我ながら気まぐれ。まるでこのブログのようではないか。)
 
 個人的に長崎へは2011年に仕事の関係で初めて訪れてから、またいつか訪れたいと思っていた。この時は時間が無く、さるくには参加できなかった。

 市電の走る長崎の街なかは、港と地形と道路、そこに重なり合い蓄積された文化が残って(または再現されて)いて、感心すると同時に好感も持てる。

 まちの醸す好感は、人とその生活により成立した姿である街並みによる所が大きい。

 私なりに「さるく」で感じたポイントを大きく3つ挙げてみる。


(1)文化や地域資源の多様性、多重性をコースや企画に活かしている
 
 まず、これについては、圧倒的である。まちの持つ文化的蓄積や、持つ「顔」が多彩である。
 一日目は眼鏡橋とその周辺(街なか)を巡るコースで、商店に立ち寄り試食があったり、おくんちの彫刻の修復現場や、べっ甲の工房も覗けたりと、盛りだくさん味わえるものだった。
 二日目は、グラバー園の周辺の散策であるが、グラバー園には行かないというコース。
 どちらも単純に観光目的で行ったとすれば、眼鏡橋やグラバー園を観て、観光したつもり、知った気分になってしまい、そこで終える事が多いと想像できる。
  しかし、周辺を丁寧に、地元の方の案内(言葉)で巡れる事は、本当の意味で「知る」ことであり、これぞ真の「観光交流」ではないかと思う。素晴しい。
 歴史軸のみに特化しないツーリズムの良さも充分に体感できたと思う。
 と、言ってもさるくのコースはまだまだ沢山ある。
 
 まちの「引き出し」「強み」を活かす事は、官民協働で取り組める良いテーマのはずなのだが、それを上手に事業として運営できている例は、実は未だにそう多くはないのではないか。
 公平性に固執せずに取り組む事もポイントだと気付かされた。







(2)「市民」の案内力を活かし、更に育てる
 
 旅先での事をイメージする。情報を得て目的とするものは意外と決まりきっているのではなかろうか。
 「着地型」などと言われて久しいが、ポイントは人にある。
 日常の偶発性もつきものなのだという事は、まさに「体験」せねば分からない事だ。その体験を「価値」に昇華している点も、感心するばかりである。
 場や人、情報を共有できることの価値は、今後更に見直されていくのではないかと思っている。
 長崎では調子づくことを「のぼせもん」と言い、またそういう気質があるそうだ。来街者に「伝えることの楽しみ」を知った市民に火がつき、拡がっていった事も目に浮かぶ。
 こうした市民の「自分のまちのいいところを知りたい、伝えたい」を追い風に、事業として位置づける事はまち歩きならずとも、大きなカギだ。
 当たり前の事。しかし、様々な取り組みを見渡すと、意外と「独りよがり」な事業だったりするケースが多い事も、冷静になって直視すべきだろう。
 当たり前の事がなかなか出来ないのも世の常である。






(3)仕組みの妙
 
 プラットフォームになる必要性をちゃんと理解し、体現している。(ように見える)
 少なくとも個人の観光では得られない情報や、立ち入れない空間へ行ってみること、そして(2)で述べた交流がある。「ここでしか」「ならでは」の一つだ。
 不思議と一瞬でも、自分もまちの人間になったような錯覚に陥る。それは、そのまちに暮らす人々の生活や生活風景を強くイメージする事から来る錯覚なのだろうが。

 起点は行政が仕掛けたものであっても、市民に浸透すれば、行政は黒子に徹する。
 当初狙ったポイントはハズレなく、芯を捉えていたという事なのだろう。
 そして、立ち位置を的確に理解していたからこそなのだろう。(つまり投資の仕方もと言う事になると思うが。)



 このようなスモールツーリズムは本来の意味での「交流」を生むのだと、再発見・再確認させられた視察だった。地にきちんと足がついたものに見えた。

 2005年の前後、日本中を「情報」として駆け回った某巨大博覧会の、いわばウラで「さるく博」が組立て、開催されていた事を考えながら、約10年後の2014年の今に再び目を向けると、足下や地面を大切にする事の重要さがより一層深いものに感じられる。


 「また来たい」という気持ちをどれだけ大切にできるか。


 という事を、日光のまちづくりを考える時に常に頭に置いて来たつもりだが、なかなかそれを実行できる場や機会、プロジェクトを作れて来なかった。
 今回の視察で、ヒントを沢山いただいた。これらを活かしたい。


…というわけで
 また、長崎へは視察にお邪魔したいと思う。


 さて、日光でのアウトプットへ向けて一歩一歩。