2015年8月5日水曜日

私の知らなかった世界〜朝の仙台城趾

早朝、陽の昇る前に目が覚めてしまって、思い立って城趾まで。
朝日の登ってくるところが見られればと思っての事だった。

時間的に日の出の時間に遅れてしまったが、東の空は雲が出ており、これに遮られてちょうど城趾に着く時間に太陽がでてくるところだった。
ここまで既に45㎞歩いており、息をきらして登城路を登った先には、想像以上の風景が待っていた。



他に人もいた。(想像より多かった)

散歩で来ている(近所からと思しき)奥様方、ご夫婦。
ランニングの人々。
朝日の昇る様子をカメラを回し撮影している自転車の外国人。
観光で着たと思しき家族連れ。
夏休みであろう地元の男子高校生4人組。
犬の散歩の若い夫婦。

ピーク時には15人くらいになったろうか。






杜の都、近景には緑が飛込んでくる。
その先に住宅が拡がり、広瀬川が蛇行してそれらを分断している。地形の妙。
その先には高層ビルが建ち並び、微かに平野部の方が見える。

6時近くなると、それまでビルのトーンをどれも同じにしていた朝靄が少しずつ晴れ、ビルの表情が見え出す。
広瀬川の川面が輝き出し、徐々に道路の車の台数が増えて行く。
6時丁度には近くのお寺の鐘が鳴り、これが合図かのように、人影か消える。
仙台という107万人都市の「暮らし」が動き出す。一日のはじまり。(もしくは、終わり。)




城趾以外にも、朝の散歩コミュニティが各所で存在しているのではないかと推測する。

知らない時間、未だ見ぬ場所。

未だ見ぬ世界は無限に存在する。

たまには、生活の中にこういう時間を作ってみるのも良い。
生活の中で凝固した何かを溶かす様な、見通せぬ未来に風穴を空けるような作業だ。
大袈裟に言うのならば。

今回もSo Whatで。


2015年7月4日土曜日

仙台の沿岸部から〜海岸林の伐採盛り土と嵩上げ道路


仙台の沿岸部は、復旧以降も刻々と変化する。

「安全・安心」のための公共事業によるものだ。





情報を得て久々に訪れた海岸林は、せっかく残った木々が一部伐採されていた。

一度伐採し、盛り土した上に新たな樹木を植え付けて行く計画と聞く。

この区域での盛り土が、本当に「安全・安心」に関する意味を持つのだろうか。

正直なところ、私は疑問が多い。



写真の奥に見える白い構造体は、海岸堤防だ。


写真を撮る近傍では、鳥の声が絶えない。









さらには、嵩上げ道路の建設もはじまっている。







田んぼの中を縫うように盛り土と砕石敷がなされていた。

側道なのだろうと思う。




削減され変形した田んぼには水が入りはじめていた。(5月撮影)

奥に見えるパイプ組みは、かさ上げ道路の断面を示している。

こういった「安全・安心」に関する公共事業が急ピッチで進んでいる仙台沿岸部なのだ。


かさ上げ道路や避難タワー等、特に現地で再建する方々は「早く出来て欲しい」と口々に仰る。
一方、こうした工事需要に合わせて、移転跡地では現場事務所や資材置場、中には廃材置場になっている箇所も増えてきて、確実にそれらは今後増えるだろうと予想できる。

「戻ったはいいが」震災前の居住環境と明らかに違う。
「せっかく戻ったのに…」という声も聞かれる。

復興とポスト復興の交差する「現在」のジレンマがここにあるように思う。
それは、そこに暮らす人々だけではなく、「公共」としての「政策」「事業」としてのジレンマだ。

良く見かける公共事業を一律に批判・否定する態度には正直辟易するが、事業そのもののあり方を問われるものは、確かに多いのも事実。


環境というを意識することだろう。

「安全・安心」は「命を守る」と読み替えられられ、そのように理解されている。
では、財産や環境はどうだろうか。

仙台沿岸部では、散歩で自分の集落を毎日見回っているという人の話しをいくつか耳にする。
しかし、震災からこれまでの移ろいをどのように感じているか、じっくりと聞き取った事は未だ無い。
ようやく、そうした話しをできるようになってきた、とも言えるかもしれない。


《過去の関連記事》

高橋親夫写真展「復興大地」《16日(火)まで開催中》(※展示は既に終了しています。)

http://niemonk.blogspot.jp/2015/06/16.html

仙台の沿岸部から〜狐塚
http://niemonk.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html

2015年6月11日木曜日

高橋親夫写真展「復興大地」《16日(火)まで開催中》

高橋親夫さんの写真展「復興大地〜仙台沿岸部再生〜」が仙台のニコンプラザ仙台フォトギャラリー(AER29階)にて開催中です。







親夫さんは、海岸公園や貞山堀、蒲生干潟など、震災前の仙台沿岸部の風景を30年以上に渡り撮り続けてきました。

この中に南蒲生地区の写真もあり、震災前の家並みや居久根の風景が写るそれらは、今でも貴重な記録資料になっています。

今回は「復興大地」として、震災からの復旧・復興の過程が切り取られます。
震災後、京都造形大大学院の写真コースに入学し在学中に2年かけて撮ったもので、卒業制作に位置づけたものだそうです。(卒業の段で受賞されたとのこと)


「大地」と題する通り、復旧作業過程で表皮が剥がれた農地の様子が目立つ。
工事作業が始まる前の早朝に撮影したものがほとんどとか。


ご本人からいただいた、卒業制作発表時の原稿の中から一部をご紹介します。


海水の底に沈んだ沿岸部の、農地の上を覆っていた大量の破壊物が取り除かれても、生産の命脈が断ち切られて、耕地は野の地へと戻っていった。野生化した広大な大地の表土は何度も剥ぎ取られる。幾多の野生の植物は季節がくると塩分がしみ込んだ土から芽を出し、大地を覆い成長するが、やがて薬剤によってその成長は絶たれる。 
この地で働く人たちは土地の線を整え、あるいは新たな線で区画し、その傷口にたっぷりと養分の入った腐葉土を施し、灌漑設備を改修して淡水で塩分を洗い流し、再びこの大地を飼いならすための準備をしている。この光景は、、震災で傷ついた沿岸部農地を再び人間の手に取り戻すための広大な手術をしているように見える。 
(中略) 
この場所に幾度となく佇むと、野生化した大地を家畜化するには、直線が必要なのではないかと思えてくる。それほど、人間が作業しているこの場所は直線だらけである。農地の大規模化への区画整理事業によって、それまでの道路や水路やあぜ道は白紙にされ、新たな未来への直線が計画されて、新しい田園風景がつくり出される。水稲栽培の必然性が生み出す水平大地の上で、このような復興作業がいたるところで続いている。 
私は考える。震災の復旧・復興は真新しい直線を生み出す作業ではないのか。そして、人間の活動そのものが直線を作り出す行為であり、私たちはそれと共に生きるということではないのかと。人間の手に取り戻された大地は、やがて時間と共に普通の田園風景へと戻っていく。

「飼いならす」という表現にハッとさせられ、「野生化」「家畜化」に仙台平野の成り立ちが、まさに凝縮されていると気付きます。

主観を極力排し、淡々と撮られた写真の数々。

工事などの現場記録写真から、風景や面影を残し継ぐためのアーカイブ的写真、
そしてその延長線上にそれがさらに進化した今回の作品の数々が位置しているのではないかと勝手ながら推測しています。



高橋親夫さん


展示会場の様子

編集中の写真集(表紙)


仙台にお住まいの方やお近くの方は是非足をお運び下さい。

※夏の終わり頃には、写真集(英訳も進行中とのこと)も発売になるとのことですよ。


■高橋親夫写真展 「復興大地〜仙台沿岸部再生〜」

2015年6月3日(水)~6月16日(火)(日曜祝日休館)
9:30~18:00(最終日は15時まで)
ニコンプラザ仙台 フォトギャラリー
宮城県仙台市青葉区中央1-3-1 AER(アエル)ビル29F
022-715-1490

入場無料

http://www.nikon-image.com/support/showroom/sendai/schedule.html

2015年4月25日土曜日

一枚の絵

一枚の絵に季節と離れた地を思う。



どういう土地で学んだか、というのも重要なんだよな。
という事には、実は卒業してから気付く。

山形で4年間過ごせてよかったと、私は今でも思っているのだ。

結局なんだかんだで、今でも毎月のように山形へ行っている。



後輩の作品を見ながら色々と思い返す午後。

2015年4月22日水曜日