2011年6月28日火曜日

公園的な街路空間。



 日光の東町地区(ひがしまち地区)大通り(119号)は拡幅を伴う「まちのリニューアル中」である。
 東町地区というのは、東武・JR両日光駅から神橋(しんきょう)までの一帯。


 20年程前に地元青年会議所が行った商業の後継者調査など当時の問題意識に起因し、歩道の改良・改善の話が持ち上がったとのこと。
 
 当初は歩道は現状幅のままの改修を望んでいたが、事業化するに当たりバリアフリー等の諸条件から現在のように歩道の拡幅を含む事業となった。



 日光街道の終点である。
 この通りは昭和40年代まで市電が走っており、車道は通常の2車線道路よりも広い。
 そして、歩道は狭い。
 世界遺産登録以降増える観光客の需要を超えているという指摘は今でもある。










昭和40年代の日光大通り。市電が走る。
平成22年の日光大通り。上の写真とほぼ同じアングル。
 通りの拡幅については「逆に狭めるべきだった」という意見もチラホラ聞くわけだが、これは確かに道路幅と建物高さの比率によってもたらされる「囲まれ感」であり道路を挟んだ向かいとの一体感を勘案すれば、確かに私もそう思う。
 しかし、だ。事業化の起因や当時の事情、何より既に事業が始まっている事を考えてほしい。

 実際に、既に施工済みである松原町地区において、通りが広くなって歩きやすくなった、という旅行者の意見は多いという。
(とにかく、地元住民がこういう事情を積極的に知ろうともせずに、自己の感覚だけで意見してくるような事が非常に多い事は残念である。意見の前にきちっと状況を把握いただきたい。役所等で資料等は手に入るはずである。物事は目に見えるよりも複雑に動いてるわけだ。)
 さて、端的にいえば「乗りかかった船」である。
 日光の玄関口である。
 この事業の頓挫などは日光はもとより日本の財産へのエントランスで担う空間の破断ともなりかねない。



 どう捉えて前進するべきか。
 
 上記の空間特徴と、これからの季節を想定して考えてみる。


 この新しい街路空間に、街路樹は無い。
街路樹を選択しなかったのは、山を見ながら歩いてもらいたいという思いからだったと聞く。
 だとすれば、通りというよりも広場や公園的な空間の中を歩くようなイメージではないか?
整備された松原町地区に
新設された龍の街路灯
しかし、避暑地日光といえども、夏のジリジリ暑さは歩いた事のある方ならばご存知と思う。そして、夏の雷雨の多さは全国的にも上位にランクする。


 木陰の無いそういう空間の逃げ場はどこだろうか。大通り沿いに点在するポケットパークと水屋と 四阿(あずまや)だろう。
 幸い、大通りの拡幅事業よりも前にいくつものポケットパークが誕生している。
 或る意味「公園的な街路空間」を潜在的に目指していたのだと思う。
(ただし、一般的に定義されている「ポケットパーク」とは少し違うようにも思う)







広場・公園的な道路空間(主軸)とそこに付随する公園(ポケットパーク)というおおまかなイメージが形成される。
休みながら歩いて欲しい。という願いである。
という事で次のようないくつかを提唱したい。


・民地や街路に附随する公園等での緑化推進。
・通り空間を「公園」と捉えた町内単位の工夫。
・夏の雷雨時の軒先提供推進と傘の貸し出し強化。

・ポケットパークの再認識。


 フェーズの違うものも並んでおるが現在の脳内であり、NPOひいては住民間で共有しながら深めたいと考えている。
つまりは、日光においては親水空間と親緑空間の必要性を重く受け止めるべきであると思う。水は豊かであるが、おそらく日光の街なかの緑化率は例えば都心のそれと比べて低いと思うが、これはまた別の話とする。
 これまでの私の見聞きした範囲と資料でこの記事を書いている。そこで思う事は、日光地区のこの事業については単なる「思いつき」ではなく、必要性や妥当性を確認しながら提案・実現化されてきた。という事である。
 
 前述の通り、こういう事業については何ぶん誤解が多い。
 「日光」という地域性は、強力な看板ゆえにキャッチを考える必要はそこまで無かったと思う。しかし、まちを大切に考えた結果が「まちづくり規範」や「祭(いのり)のまち」というテーマとして残っている。
 事業が始まり形として現れた今、「公園的な道路空間」という意識で捉え直して、このまちのリニューアルをポジティブに考えてみようではないか。

 最後に仙台の写真を誤解を恐れずに何枚かアップする。都市規模の違い等の指摘は今更であり野暮というものである。

仙台定禅寺通りのケヤキ。中央帯は歩道になっている。
オープンカフェなどの取り組みも早くから実施されている。


一番町「買い物公園」
仙台の藤崎付近の街角。
公園的な街路である。

2011年6月27日月曜日

東北を想う。

大学時代の4年間を山形で過ごし、その後仙台で約3年を過ごした。


大学入学の時の初々しさとその心情は今でも鮮明である。


山形で学ぶ事ができた幸せは、卒業後に強く思い返され、仙台で働く事のできた幸せは、その後地元日光へ戻ってから余計に強く感じるようになった。


田舎育ちの自分へは、山形の自然の身近さと人の暖かさがこの上ない安心を、東北の百万都市での生活は都市の刺激を与えた。


課題での地方の中心市街地や山村などでのフィールドワーク。仕事として向き合った仙台の街なか。
三陸の美しさ。
塩竈、松島、石巻や女川あたり。
友人とライブをやっていた矢本町。
仕事で度々訪れた福島の原町市(現南相馬市)の駅前。
そして、住んでいた近所の海。


こういうきっかけは大学生活を送った山形にある。
ありていにいえば、大学生活が東京でなくて良かったとさえ思ってしまう。
(あくまでも私の話。私感である。)


今、例えば仙台へは東北自動車道で日光から3時間で行く事ができる。
山形へもそれに気増し程度。
金の無い学生時代は、一般道で約6時間かけて帰省していた。
県境の峠。福島の道々。
全てが懐かしく、今や自分の財産である。


思い出の中にあるものを全て引っ張り出して、再現したくなる。
自分の中では、どこかに大切に仕舞う・・・というよりも閉じ込めておきたくなる。


一方で、敬愛するミュージシャン桑田佳祐氏が3年前のライブ大感謝祭のアンコール冒頭でこう歌っていたのを思い出した。


「あの日から何度目の夏が来ただろう 


 出会ったり 別れたり くり返し


 美しい思い出も大切だけど 人生はこれからを 夢見る事さ」


地域、また各個人の気持ちのフェーズはそれぞれだと思う。
震災後、陸前高田、気仙沼、石巻、松島、塩竈、多賀城、仙台の海岸方面や福島の新地町に訪れたが、それぞれの風景に愕然とした。
私も日により気分が深く落ち込む時がある。




生活の中の支援。
自分の地域の事。
前を向いていこうと思う。


今回の震災以降、食であり、産業であり、エネルギーであり、如何に東北が日本を支えていたのかという事が多く語られている。
食であり、エネルギーについての価値観はこれを機に大きく変わって行くと思う。


長い時間をかけての「再生」になると思うが、きっと、いつの日にかまた。


これからも、東北は美しい。そう思う。


手伝える事があればと、常に考えている。

2011年6月23日木曜日

看板が残った 〜アイデンティティを残す



昨年末に曳家工事中の事故により倒壊してしまった建物。


以前のファサードの中で特徴的だったこの看板が残ったそうです。
建て替わった後の軒下に堂々登場です。


日光の大通りは「まちのリニューアル」の真っ最中ですが、その建物のアイデンティティは残したいものです。
看板などはそれを特によく表していると思います。






▽日光門前地区の「看板のありかた」についてはこちらを参照下さい。
http://www.npo-nikko.jp/kihan/kihan_6_4.html





2011年6月21日火曜日

「わられっちゃう」文化論

子供の時分。


「そんな事すると他所(よそ)の人にわられっちゃうから!」


とよく怒られました。


「わられっちゃう」は方言です。


わられっちゃう=笑われてしまう  なのです。


日光(いや栃木?)独特の言い回しであり価値観であると、大人になってから思います。
ひいては日本の風土を表していると思います。良くも悪くも。
いや、その悪く作用する部分の方が大きいと感じる事の方が多いのが正直なところです。


単純にこの状況とセンテンスだけでは、「いけない事」を説く教育論の中の事なのだと思います。


しかし、これが色濃い文化となるとちょっと微妙。
栃木県は特にこの傾向が強いと思います。
人との位置や距離、間合いに敏感で、突出は評価よりも即妬みの対象となる。
それから、スタートを支援する立場の人が少ないと思います。
失敗しようものなら「ほれ見たことか」となる空気感が日常に充満しています。
これじゃ、新しい芽は育ちませんし、文化的な活動を諦める人も多くなる事は当然です。


過剰な「恥」感は生産や活動・行動を抑制してしまうように思います。


「笑われるんだったら止めておこう」


そうなるのは当然です。


最初の一歩は重要です。
それは子供であっても、大人になったって。


形式に囚われすぎて、結局何もできなくなる事がありませんか?


「これはこういうもの」
「あれは誰がやる事」


知らずうちに決めつけていませんか?
固定概念というやつですね。


そういうもので生活が膠着してしまう前に、行動しましょう。


「ちょっと考えたら、あとは行動する」


時には笑われる結果になったって、挑戦してみる事の方を大切にしてみませんか?

2011年6月20日月曜日

マルシェの話。

 今月、6月のはじめに「日光マルシェ」という企画を開催しました。
 昨年秋に初めて開催したマルシェ。今回は2回目の開催でした。


 なぜ、マルシェだったのか。そのきっかけを少しお話しします。


 昨年はほぼ月に一度は仙台に行っていました。以前、私の職と生活は仙台にあり、今でもまちづくりのアイディアやヒントを探しに(これを書くとまずいかな?笑)行っているのです。
 足を運ぶ中で様々なマルシェの開催(マルシェジャポン、泉マルシェ、エコマルシェなど)と、それらは全国的に拡がりをみせているという事を知りました。
※)NPOのブログ「マルシェ集」参照下さい。 http://www.npo-nikko.jp/blog/log/eid269.html


 生産者と消費者が近くにあるマルシェ。
 日光も、観光物産品の需要は長くありますが、街なかを出ると魅力的な地区・集落が沢山あり、「地のもの」が凄く豊富なのです。
 これも日光の顔なのだと考えました。
 それから、日光に想いのある出店者さん達と賑わいとしての市を作りたいという目的もありました。
 あとは、とにかく行動の中で「日光」を見つけていければと思って第一回の開催に至ったわけです。(早くも、第一回目の開催時に「地のものはお土産になる」という結果が出てしまったわけです。それはまた別の話にします。)


もう一つに、街を歩いてもらいたいという目的がありました。

 最初に頭にあったのは「まちを使う」という事。これを強く意識しました。

 何故わざわざ会場を分散させるのか?とよく訊かれますが、上記のような目的があったので、敢えて挑戦してみました。

 一所に集まった催しの方が訪れる人にとっても明確ですし、会場の管理もしやすいのは当然の事です。しかし、回遊を目的とすると自然とこのようなスタイルになるわけです。
 また、単に「空間を活用する」と言っても全て誰かのもの。会場を複数設定する分だけ了解を頂かなければなりません。こういう部分に主催側としては労力を必要とします。
 結果的に駅前広場や公園、店先などの民地や神社の境内。様々な場所をお借りして開催する事ができました。
 



これらは、きっと仙台定禅寺ストリートジャズフェスティバルの「街がステージになる」っていうのが自分の頭の深くに潜在していたのだと思います。
※)NPOのブログ「講演会「仙台定禅寺通りに学ぶまちづくり」開催レポート」を参照下さい。
 http://www.npo-nikko.jp/blog/log/eid194.html


・各会場を歩いて巡ってもらいたい。
・大通り(メインストリート)だけでなく、横丁なども歩いてもらいたい。


 そういう狙いがありました。
 結果、会場をスタンプラリーで廻るという形をとりました。


 この6月の第二回では、2日間で約200人がこのスタンプラリーに参加下さいました。
 観光で日光を訪れた方はもちろん、地元の方々も多く「普段は車で通るだけだけど、この機会に久しぶりに歩いてみようと思って・・・」と参加下さいました。
 
 これも一つの成果だと思います。
 
 自分たちの街を知るという事。そして、人と人のふれあい。
 普段とちょっと違う時間。


 まちには必要なのだと思います。
 私たちの生活にも必要なのだと思います。


 
 まだまだ2回の開催を終えたところで、本当に課題は山積しています。「確立」にはほど遠い企画ではありますが、続けて行く中で「日光らしさ」を見つけていければと思っています。


 なにしろ、我々はアクションを興しながら考えていかなければならないわけですから。


 火は熾きたばかり。


 このマルシェに参加したい、場所を貸しても良いという方、お待ちしております。 
 
 nikkomonzen☆gmail.com
 
 までメールを頂ければと思います。


 さて、次回はいつになることでしょうか。

ごあいさつ

はじめまして。


はじめました。


個人的な想いや考えている事を書くブログをやろうと、少し前から思っていました。
まちについて、それから、読んだ本、会った人、いろんな地域で起きている事。
そういう事を綴っていければと思います。


思えばmixiに熱中していた頃には、自分なりに気合いを入れて日記を書いていました。
今はtwitterが自分の中での主な発信ツールとなっていて、すっかり即時的な吐き出し方が慣習化してしまいました。
ですので、これは私にとっていわば「まとまった吐き出し」の訓練でもあります。


▽NPO活動の公式な発信はコチラで。
http://www.npo-nikko.jp/blog/


twitterは右欄にガジェットが表示されていますが、 niemon_k というIDでやっています。
facebookもやっていますので、特に近しい方は見つけたら友達申請下さい。


それぞれの棲み分け等まだ自分の中で未整理なのですが、探り探り運行して行こうと思います。


・・・なるべく肩の力を抜いて。^^;


よろしくお願いします。