2011年6月27日月曜日

東北を想う。

大学時代の4年間を山形で過ごし、その後仙台で約3年を過ごした。


大学入学の時の初々しさとその心情は今でも鮮明である。


山形で学ぶ事ができた幸せは、卒業後に強く思い返され、仙台で働く事のできた幸せは、その後地元日光へ戻ってから余計に強く感じるようになった。


田舎育ちの自分へは、山形の自然の身近さと人の暖かさがこの上ない安心を、東北の百万都市での生活は都市の刺激を与えた。


課題での地方の中心市街地や山村などでのフィールドワーク。仕事として向き合った仙台の街なか。
三陸の美しさ。
塩竈、松島、石巻や女川あたり。
友人とライブをやっていた矢本町。
仕事で度々訪れた福島の原町市(現南相馬市)の駅前。
そして、住んでいた近所の海。


こういうきっかけは大学生活を送った山形にある。
ありていにいえば、大学生活が東京でなくて良かったとさえ思ってしまう。
(あくまでも私の話。私感である。)


今、例えば仙台へは東北自動車道で日光から3時間で行く事ができる。
山形へもそれに気増し程度。
金の無い学生時代は、一般道で約6時間かけて帰省していた。
県境の峠。福島の道々。
全てが懐かしく、今や自分の財産である。


思い出の中にあるものを全て引っ張り出して、再現したくなる。
自分の中では、どこかに大切に仕舞う・・・というよりも閉じ込めておきたくなる。


一方で、敬愛するミュージシャン桑田佳祐氏が3年前のライブ大感謝祭のアンコール冒頭でこう歌っていたのを思い出した。


「あの日から何度目の夏が来ただろう 


 出会ったり 別れたり くり返し


 美しい思い出も大切だけど 人生はこれからを 夢見る事さ」


地域、また各個人の気持ちのフェーズはそれぞれだと思う。
震災後、陸前高田、気仙沼、石巻、松島、塩竈、多賀城、仙台の海岸方面や福島の新地町に訪れたが、それぞれの風景に愕然とした。
私も日により気分が深く落ち込む時がある。




生活の中の支援。
自分の地域の事。
前を向いていこうと思う。


今回の震災以降、食であり、産業であり、エネルギーであり、如何に東北が日本を支えていたのかという事が多く語られている。
食であり、エネルギーについての価値観はこれを機に大きく変わって行くと思う。


長い時間をかけての「再生」になると思うが、きっと、いつの日にかまた。


これからも、東北は美しい。そう思う。


手伝える事があればと、常に考えている。

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