2011年8月15日月曜日

藻谷浩介×山崎亮「経済成長が無ければ、僕たちは幸せになれないのか」



712日に東京で開催された、対談形式の講演会。
トークライブのような雰囲気でスタートしました。
シャツ姿の藻谷さんとジーンズにTシャツの山崎さん。
鹿児島の状況とマルヤガーデンズの話し、震災の被害状況とこれからの日本経済の動向の話し、経済成長と経済成長率の違い話し、それは個々の生活実感と大きく乖離しているという事。などなど、内容は盛りだくさんでした。

個人的に一番頭に残り、心に響いたフレーズは「お金に換算できないソーシャルストック」という言葉。
それは人の繋がりや、地域の伝統など長く培われた地域の資産の事です。
自分がまちづくりに取り組んでいる中でモヤモヤ、ウスウスしていた事が、この表現ですっと腑落ちしました。
まちづくりでは、直接的な効果や即時性的な部分を期待される事が多く、そして、そのような尺度をもって評価されがちです。
しかし、そうした地域の資産を活かして行くには必ずしも目先の効果や利益を追求せずに、時間をかけてじっくり取り組んで行く事も必要であるという事を忘れてはいけないと思います。

山崎さんは「コミュニティーデザインは個々の特殊解ですから」と仰っていました。その通りだなと思う一方で、都市部(地方の中心市街地など含む)で考えた時に、あまりにも一律に論じられる「一般感」の多さに、個性の見いだし方とその難しさをイメージしました。
山崎さん、地域に入って行く時には100近い団体をリサーチして、その中からなるべく多くの人に会いに行くそうです。得た繋がりから紹介型でまた繋りを連鎖していくのだとか。
人を繋いでいくこと。コミュニティーとつき合う事。エネルギーが要りますよね。

藻谷さんの発言を幾つか並べると
・経済成長し続けないといけないといういわば脅迫観念的なものが、いまだにある。
・いつでも勉強できるようになった。もう少しすると良い大学、良い学歴などというのは剥げ落ちていくのでは。
・都市部の人間が優秀か?全くの誤解であって逆に、いかに「平均」であるか。なんとなく社会の流れに乗っているだけの人間を都市はあまりにも受け入れてしまっている。
・「その他大勢の群れにまぎれて幸せ掴みたい」と考えている人がどれだけいるか。※サザンオールスターズのアルバム「さくら」の「私の世紀末カルテ」の歌詞を引用して
・島や里山で、果たしてその他大勢に紛れられるか。
・数字的に日本の黒字が出ていても、一向に生活は豊かにならない。これはお金の使い方の話しではないか?少しはストックがあるうちに有効に使っていくべきである。

というような事を仰っていました。

「ストック」というキーワードは、「社会全体が鬱的」(藻谷さん評)という高度経済成長、バブルを経ての現在ならではな言葉であり、一方、「地域の大切なものを掘り起こす・繋げる」という山崎さんの作業とリンクしている、いわばこの講演会の肝だと考えます。




藻谷さんとは、仙台でまちづくりのコンサルに勤務していた時に某商店街組合のまちづくり会合の中で講演をいただいた事がありました。もう10年も前の事です。その時にスタッフとしてお手伝いしながら聴いた講演が非常に刺激的で、鮮明に覚えていました。
「生き残れる街・生き残れない街〜地権者がまちをつくる。主体は地権者にあり〜」という演題で、仙台中心部の商業者向けに他地域の事例を交えながら郊外化の進む街なかの危機感を大きく示していただきました。

閑話休題。
終演後には両氏の前に名刺交換の長蛇の列。
にも関わらずお二人とも一人一人と丁寧に挨拶を交わされていました。
私もその一人で、ちゃっかりとご挨拶させていただきました。

この講演は学芸出版社さんから書籍化されるとのことです。
楽しみですね!


藻谷×山崎の事前対談も面白いです!これちら↓
http://www.gakugei-pub.jp/chosya/038yama-mota/index.htm




藻谷 浩介
角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日:2010-06-10

2011年8月13日土曜日

DO THE FES!〜即席都市〜




毎年夏フェスに出かける。

茨城のひたちなかで開催されるROCK IN JAPANに通うのが毎夏の恒例と化してもう8年になる。
20代の終わりと共に卒業しようと思ったのだが、やめられない。


アーティストを目当てに行くというのは当然の理由としてあるが、

太陽と対峙する。
音を浴びに行く。
歌う、踊る、跳ねる。


そういった事をその空間に居合わせた人と共有するという事も、知らず知らずのうちに目的の一つとして成っているような気がする。
会話や直接の交流がなくても、目的を共有している人々が集う、その風景そのものが更なる共有材料としてそれぞれに影響をしていると思うのだ。

さながら都市の楽しさである。





人が集まる事・・・
容易ではない体制が必要と成る。
食も、健康管理も、安全管理も、
そして、ライフラインも・・・
都市である。

フェスは即席都市である。

3日間だけ出現する、即席都市なのである。

単なるお祭りとして楽しんで、帰ってからはこんな事を考えている。





人生には、こんな風に日常と非日常を漂う時間と空間が必要だ。


※そういや以前NPO日光門前のブログにも同じ事を書いたのだった・・・
http://www.npo-nikko.jp/blog/log/eid114.html

2011年8月4日木曜日

「奥」を作る。



日光の街の、特に構造としてのウィークポイントを考える。
道路構造の詳細についてはまた別の記事にしたいが、東町地区は大通りの一本主義的な部分が大きい。
古くから参道とそれに対する商業町しての性格からこのような姿であるといえるが、もう一つは地形である。山と川に挟まれ最低限度の導線を確保するとこの様な町が形成され、通り沿い以外の街区は附随的に形成される。これは決定的な影響であり、起源でもある。
江戸期から幾度もの川の氾濫や大火により建築が消失しているが、構造的には大きく変わらない。鉢石宿と山内から当時の都市計画で移った御幸町・石屋町・松原町という三町内が大通りに張り付き、その後水害に遭った稲荷町が現在の地に形成された。
大通りが「軸」として果たす役割はその後より現在も変わっていない。

来訪者に明確である点などはポジティブに捉えられるが、その分、選択肢が無い。そして、歩きに「変化」が無い。
面で捉えてまちづくりをしたいというのが信条であるのだが、じっくりと取り組む事となる。
「日光東町まちづくり規範」には回遊性の高いまちづくりを目指す事として「横丁や路を楽しめるようにしましょう!」という目標を掲げているが、これに少し枝葉を付けてみたいと思う。

●建物などの囲みによる広場的な空間の必要性
適度な囲まれ感を持った広場が日光のこの地区には不足していると感じる。





▲小布施の風の広場。これは道から奥に誘導する広場空間。駐車場になっているが、周辺環境を損なう事無いよう配慮された配置と設計である。



▲青山のふくい南青山291。このような配置は都内に多くみられる。



▲代官山のヒルサイドテラスは裏側・奥行きをつくっている。


▲小布施の高井鴻山記念館。既存の敷地の解放も一つの奥の創出である。


●通り抜けの空間の必要性


 ・小径をつくる


小さい歩行空間を大切にする事で、地域の生活環境も観光客の歩行環境も向上する。景観や空間の質もこれに附随するように上がる。

・敷地内及び街区内の通り抜け空間



うなぎの寝床と言われるような、短冊形の敷地が連続している界隈もある。
店舗併用住宅である事が多いが、敷地演出や導線演出のために通り抜け空間を設けるのは有効である。敷地内、建築については京の町家に代表される。



街区内の通り抜けや溜まりについては前記の広場的な空間にも通ずるが、ヨーロッパの街区の持つ囲みにも近づいていく。

どれも生活に近い小さな歩行環境である。しかし、その小さい環境こそ大切にすべきである。
日光にあっては前出の通り、まちの歩行導線が明確であるが、このように街に仕掛けを与えていく事で、ちょっとした豊かな歩行空間の創出を図れるのではないだろうかと思う。

考えと行動は続く。