2011年8月4日木曜日

「奥」を作る。



日光の街の、特に構造としてのウィークポイントを考える。
道路構造の詳細についてはまた別の記事にしたいが、東町地区は大通りの一本主義的な部分が大きい。
古くから参道とそれに対する商業町しての性格からこのような姿であるといえるが、もう一つは地形である。山と川に挟まれ最低限度の導線を確保するとこの様な町が形成され、通り沿い以外の街区は附随的に形成される。これは決定的な影響であり、起源でもある。
江戸期から幾度もの川の氾濫や大火により建築が消失しているが、構造的には大きく変わらない。鉢石宿と山内から当時の都市計画で移った御幸町・石屋町・松原町という三町内が大通りに張り付き、その後水害に遭った稲荷町が現在の地に形成された。
大通りが「軸」として果たす役割はその後より現在も変わっていない。

来訪者に明確である点などはポジティブに捉えられるが、その分、選択肢が無い。そして、歩きに「変化」が無い。
面で捉えてまちづくりをしたいというのが信条であるのだが、じっくりと取り組む事となる。
「日光東町まちづくり規範」には回遊性の高いまちづくりを目指す事として「横丁や路を楽しめるようにしましょう!」という目標を掲げているが、これに少し枝葉を付けてみたいと思う。

●建物などの囲みによる広場的な空間の必要性
適度な囲まれ感を持った広場が日光のこの地区には不足していると感じる。





▲小布施の風の広場。これは道から奥に誘導する広場空間。駐車場になっているが、周辺環境を損なう事無いよう配慮された配置と設計である。



▲青山のふくい南青山291。このような配置は都内に多くみられる。



▲代官山のヒルサイドテラスは裏側・奥行きをつくっている。


▲小布施の高井鴻山記念館。既存の敷地の解放も一つの奥の創出である。


●通り抜けの空間の必要性


 ・小径をつくる


小さい歩行空間を大切にする事で、地域の生活環境も観光客の歩行環境も向上する。景観や空間の質もこれに附随するように上がる。

・敷地内及び街区内の通り抜け空間



うなぎの寝床と言われるような、短冊形の敷地が連続している界隈もある。
店舗併用住宅である事が多いが、敷地演出や導線演出のために通り抜け空間を設けるのは有効である。敷地内、建築については京の町家に代表される。



街区内の通り抜けや溜まりについては前記の広場的な空間にも通ずるが、ヨーロッパの街区の持つ囲みにも近づいていく。

どれも生活に近い小さな歩行環境である。しかし、その小さい環境こそ大切にすべきである。
日光にあっては前出の通り、まちの歩行導線が明確であるが、このように街に仕掛けを与えていく事で、ちょっとした豊かな歩行空間の創出を図れるのではないだろうかと思う。

考えと行動は続く。


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