2015年2月21日土曜日

最近ハッとした言葉



 「団体の高齢化」

先日参加した地元日光YEGのワークショップ的交流会のグループ発表の中であった言葉。
 (JCやYEGは卒業年齢があるだろうが、総体的な年齢はどうだろうか。)

その通りだし、潜在的にわかっているけど、というか、ココロと頭の奥底にしまっている課題。
言葉なり、さらにそれを聞いてみるとハッとする。

仲間と、そうはいかないまでも、興味・共感を力に一歩一歩やっていくしかないのだな、と思う。


2015年2月19日木曜日

読書記001:「更地の向こう側 解散する集落「宿」の記憶地図」東北学院大学トポフィリアプロジェクト【震災関連】

読書記をつけていこうと思い立ち、数年過ぎてしまった。
重い腰を上げ、よくやく一冊目を。


東北学院大学トポフィリアプロジェクトによる「更地の向こう側 解散する集落「宿」の記憶地図」




気仙沼の唐桑、宿という約60世帯が暮らしていた集落は2011年の東日本大震災の津波被害に遭い、災害危険区域(※)に指定され、解散することとなった。

震災の年(2011年)、昭和40〜50年代、昭和30年代とそれ以前の記憶地図が描かれるほか、その時代にあった生活の様子を聞き書きによりつなぎ合わせている。
聞き書きを基に書かれる丁寧なイラストと文で、記憶を残す意味と価値が十分すぎる程、また痛い程に伝わって来る。
海と共に集落に活きる人の暮らしが克明に記され、そこには「温かみ」が感じられるからだ。
生活の知恵や自然との付き合い方も窺い知れる。
海と 神社、祈り。祭り。
水道が引かれた時、木炭のバスが通った時、その時の記憶。
木造校舎当時の学校の校庭に水を撒いて凍らせ、スケートを楽しんだエピソードや、集落内に隣同士の鮮魚店と酒店があり、酒店で飲んでいた客が隣の鮮魚店に肴を注文、なんて場面も日常的であったなんていう記録も。

どれもが生活を切り取ったもので、匂いや感覚までも共有できそうだ。

本書は社会学者を筆頭に、経済学者、人類学者、農村社会学者、建築学者、福祉社会学者 、イラストレーターなどのプロジェクトチームによって書かれた記録集であり、様々な専門性の持ち寄りから多面的な聞き書きを可能にし、それが 深みのあるものにしている事が想像できる。

The Times They Are a-Changin' 
時代は変わる

気がつけば、風景はいとも簡単に喪失している。
徐々にではあるが。

都市の日常は加速し、それがいとも当たり前のように映るのは、もどかしさの極みである。
(もちろん、震災の被害と単純に比較するべきものではないが)

だからこそ、存在と記憶の記録が必要なのではなかろうか。

もうすこし、丁寧に。
もうすこし、記録のスペースを空けて。

そんなイメージが必要なのだと思う。

久しぶりに手に取ったが、帯の「いいとこだったんだよねぇ」が、改めて胸に迫る。

震災からもうすぐ4年。
そこにあった「暮らし」 を本書でもう一度、静かに振り返ってみることの意味は大きい。

「おわりに」にはこうある

宿 浦の方々の声のなかに、震災時および震災前、そしてさらには60年以上前の過去の姿を思い描くことは、ひるがえって現在の更地の60年後にあるかもしれない風景を呼びおこすことでもあったということです。約60年前の宿浦は明治三陸大津波(1896年)の60年後(1956年)にも該当するからです。

人口や社会的課題など時代背景は決定的に違う。
しかし、変わる時代のなかに、循環と可能性を見いだすことの重要性も忘れられがちである。



※震災から4年の節目の日が近づいていることもあり、しばらくの間は震災関連の図書を中心にとりあげていきたいと思う。







※災害危険区域:地方公共団体は,条例で津浪,高潮等による危険の著しい区域を災害危険区域として指定するとともに,同区域内における住居の用に供する建築物の建築の禁止その他の制限で災害防止上必要なものを条例で定めることができるとされています。(建築基準法第39条)宮城県のサイトより
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/kentaku/saigaikikenkuiki.html

2015年2月15日日曜日

山形

山形へ。

母校の大学の会議で定期的に訪れているが、今回は雪の中。

会議室から望む風景に、なんとも懐かしさを感じた。




目の前の田畑と畦の発展系みたいな小径(通称へび道)は、宅地化されてすっかり変わってしまったが、この大学の裏手の風景はほぼ当時のままだ。

ふと、学生時代にフラッシュバックする事がいくつかある。いや、ありすぎる。

山を背負うお寺。地形に沿い建つ住宅と通る道。雪に埋もれた畑。水の流れ。

この山の奥に蔵王が控える。

心情や思い出の中にある風景は大切にしたいものだが、押し付けであってはならない。

時代は変わる。



春前にあと何度か訪れる事になりそうだ。

2015年2月12日木曜日

RE:プロジェクトの記録展開催中!


RE:プロジェクトの記録展が仙台市役所本庁舎一階のギャラリーホールで開催中です。









RE:プロジェクトは東日本大震災以降、かつてあった仙台沿岸部の暮らしを丁寧に掘り起こし、記録しています。

2011年8月の第0号(創刊号)から昨年末の第12号(最新号)まで、これまで13の地区をとりあげています。



その地区の成り立ちと特徴が簡潔にまとめられ、さらに、聞き書きにより暮らしの様子が再現されます。
震災当日の様子、その時の気持ち、復興へ向けてどのように歩んだか。「声」が克明に記録されます。



何を大切にしてきたのか。
何を大切にしていきたいのか。



例えば、新浜地区ではその名の通り「浜」の生活があり、どれだけ浜を大切に思ってきたのかが良く分かります。
ほ場整備前の小さな田んぼ、そこを抜けると、白砂青松。
共同で築かなければならなかった、村の自治や隣近所とのつきあい。シェア。





現場に足を運び、聞き、記録する。
字面にしては簡単だけど、いかに大切か。

これらの冊子は、開催中の記録展で手に取るとこができる他、サイト上でPDFで公開されています。









記録展は2月27日(金)まで開催されているそうですので是非足を運んでみて下さい。
(仙台、仙台周辺の方は是非。また、仙台にいらっしゃる予定の方も是非。)

記録展については、こちら↓
http://re-project.sblo.jp/article/113103546.html

「RE:プロジェクト」についてはこちら↓「制作日誌」にて
http://re-project.sblo.jp

2015年2月11日水曜日

近所を歩く〜通町(とおりちょう)


仙台の住まいの近所、通町(とおりちょう)の界隈。




国分町通りからまっすぐ繋がっている通り。あの歓楽街を北へ真っ直ぐ進むとこんな風景。
青葉神社通りと言う。
仙台の「賑わい」の中心である南北軸だったそうだ。



おそらく昔のままの道路の幅であろう。

電柱が千鳥に立ち、歩行者、自転車、自動車が交錯する場面が日常だ。

でも、歩いていて「このままでいい」と思えるスケール感がある。
(ここでは)利便、安全の名の下に道路を広げるような事は、必要無いのではないか。という意味で。





氷屋、畳屋、理髪店、和菓子屋、映画館。そして、ダルマ屋。

もちろん、マンションや新しい住宅も混じり、コインパーキングも増えている。
しかし、面影を所々に残し人が行き交う様子は言い様のない安心感がある。


人口と土地/空間。これから先の事をイメージしてみる。
「置いていかれる」「滅びる」など「まちづくり」としての視点においてはアジテーションという「点」でしかないような論考が目立つ昨今。

いずれせよ、急激な変化は望むべきではないのだろうと、再び思い巡らせているところ。

21時には、お寺の鐘が鳴る。

2015年2月3日火曜日

大きく変わってしまうきっかけの大概が「点」である。

今回の事を「自己責任」として責め立てるのは、あまりにも冷たくはなかろうか。
しかし、一方で死が悼まれるのは当然の事にせよ、「勇気」といった言葉で賞賛されるのにも若干の違和感を覚える。
ただ、痛ましく、悼ましい。
本来、「社会」を考慮した上での意見か、「個」を考慮しての意見かという二分論でもないと思うし、この際、左右白黒のお安い「主義的」話しでもない。


敵か、味方かのような単純論では語りたくない。
見過ごしてきた難解さを孕んでいる。目をつぶって来たと言った方が的確か。


ひたすら心配なのは政情で、一本の線が引かれているのではないか、ということと、心の奥底でほくそ笑んでいるのではないか、ということ。
これまでの言動からすると、多分に疑わしい。
多くの指摘が或るとおり、今のところ勇敢に見える言動は、いざという時に何の役にも立たないのではないかと思う。つまり「今のところ」であり「その場しのぎ」なのだ。
これは何も最高責任者一人に限った事ではない。


いずれにせよ、私たちは小さい「個」である。
ふとした事で容易く命を落としてしまいかねない小さな存在である事を、本当はよく知っているはずの「個」である。
そういう悲しみは日常に転がっているではないか。


大きく変わってしまうきっかけの大概が「点」である。
歴史の中から一体何を学ぶのだろうか。


或る部分では細く長い、或る部分では大きな亀裂が延々と続いて行く。
そんなイメージは、やはり変わらない。
繰り返すが、敵か、味方かのような単純論では語りたくない。


思い出して欲しい。
常に予報を気に留めていないかぎり、もしくは常に傘を持っていないかぎり、天気は知らぬうちに変わっており、雨に降られる。


何かが今、ねじ曲げられている音がする。

真実か。それとも傘の軸骨か。