2015年11月27日金曜日

仙台ぐらし(3)



 仙台の秋もいよいよ深く。
光のページェントの準備もはじまれば、もう、ほぼ冬。




遠く翳る空から、たそがれが舞い降りる。 
ちっぽけな街に生まれ、人混みの中を生きる。 
数知れぬ人々の魂に届くように。
山下達郎「蒼氓」より

達郎氏は自らの歌詞のテーマについて、
「テーマを大きく言うと、都市生活者の孤独、疎外」
だと言っている。

だとすると、その典型がこの歌なのではないかと思う。





暮れて行く仙台の街並みを眺めて、頭の中に響くのは、気がつけばいつもこの歌。
(コーダのラララは妻の竹内まりや氏、桑田佳祐・原由子夫妻が参加しているのはあまりにも有名。和製ママス&パパス。)




東北の厳しい冬も、もうすぐそこまで。

秋が逝く。


今夜もSo Whatで。
今夜こそSo Whatで。


2015年11月26日木曜日

たがさんぽ〜復習〜

 2014年に初開催した「たがさんぽ」は多賀城のまちを歩いて、気づきや発見を基に、参加された方の何らかのアクションや地域のまちづくりにつなげようというもの。
 そのまちを歩き、見て読み解くためのお手伝い役として参加している。
 些か厳つい書きぶりではあるが、普段とちょっと違った視点をもって散歩に出よう、という事である。

 散歩的フィールドワーク、と私は勝手に呼んでいる。

 2014年秋は下馬地区で開催。そして、今回(2015年)は山王地区を歩いた。
(正確には南宮という集落だったが、ここでは以下山王と呼ぶ事にする。)

今回は一日で企画をコンプリートするために、
レクチャ:1時間
まち歩き:2時間
ふりかえり・共有・まとめ:1時間
という、トライアスロン的な強行軍。散歩とは裏腹。

 古くからの街道沿いに存在し、今も往時を偲ばせる面影を多く残すこの農集落は、面白かった。
(周辺の大きな状況変化に合わせて変わっていった下馬地区との対比も面白い。)
 山王は全体を通して、親しみ易さが漂う。
 柿の木と板倉と晩秋(ほぼ冬)の空も、郷愁を誘うことこの上ない風景だった。




作場道。こういうのから暮らしを想像してみる。(下見)

水路。これが集落の背割り線になっていたに違いない。(本番)
田の中にぽっかり浮かぶ南宮神社。エピソードも面白い。
本当に南宮村は今でも芋を作っていないのか?(下見)
南宮の簡易郵便局。親しみ易さの極み的スケール。(本番)
そいうえば昔々、業務で栃木県内の郵便局を全局調査したっけなぁ。
長屋門の片側を簡易郵便局にしているケースが

結構あった事に驚きと親しみを感じた事を思い出した。


カキがなっている。板倉と相まっていい感じ。(下見)



こんな気になる構えはあるだろうか。
お笑いにおける「押
すなよ!」と同じである。
「来るなよ!」と言われても行
ってみるべきであろう。
庚申。共有地かな?(下見)

鳥居と屋根がかかる庚申碑。
(かつては)大切にされてきたのだろう。(下見)

庚申碑には「申(さる)」が刻まれる。三猿、シンパシー。(下見)

バス停の名前も「庚申」。字名も「庚申」なのだそうだ。(下見)




 商集落ではなく、農集落であるのになぜこんな街道に張り付くような敷地形状が連続した集落となっているのか、謎は残った。

 お話しした内容のほんの一部はこんな感じだ。
・「鳥の目」「虫の目」で見てみよう。 
・市史は基礎資料。地名や「そもそも」に関わる大切な情報の他にも、親しみ易いエピソードなどもあるので、難しい・面倒という先入観を持たずに手に取ってみよう。 
・昔の航空写真、高低差(地形図)、土地利用図、人口変動などの基本的な情報はネット等で収集できる。特別難しい事ではない。歩く前に見てみよう! 
・路上観察「なにこれ?」楽しむ。(参考:「路上観察学入門」赤瀬川原平) 
・地形、水の流れを気にしてみる。(参考:「凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩」皆川典久) 
・とにかく「なぜ?」「どうして?を」大切に!! 
・地元の人に話しを聞いてみるチャンスは逃さない!  
(前回のたがさんぽの時には「海軍屋商店」という気になるお店のご主人に、奇跡的にお話しを伺うことができたのだった。そう、下馬は近隣の海軍工廠と大きな関係が…)
…などなど

 今回のまちあるき、個人的には、生活と生業(農)に大きく関係した水の流れが特に面白かった。
 所以をイメージさせるような面白いアイテムもそこここに潜んでいた。
 妄想でも、構想でもよい。

 今回ご参加いただいた皆様に感謝を申し上げたい。



比較的新しい宅地でも道路のクネクネが残る。水とともに。(下見)

日吉神社。これが「山王」の由来。
ここにも庚申碑が並んでいた。昔はもっと大きな神社だったとのこと。
覗く団長。(下見)

作場道を辿った先の水路。これは古そう。(本番)

ブロック塀の装飾。なかなか見ない。(本番)

板倉の鬼瓦。
「斎」の字に見えるとの指摘があったが、
の場で住宅地図を拡げてみると、その通りの名字だった。
しかし、どの板倉も立派。(本番)

板倉の残存地帯なのである。(本番)


魅惑の水路のクネクネ。
戦後の航空写真で確認するも、敷地形状変わらず。
こういうのがぐっと来るポイント。(本番)




 「私のまちには何も無い」

 それは嘘である。

 「伝えたい何か」は必ず潜んでいる。または痕跡として残っているはずだ。
つまり、「私のまちのとっておき」は存在する。

 気づきには外部からの視点が大きく、それらを磨いて魅力として行けるかどうかは、深く関わる人々にかかっている。
(あとは、制度や制約なども大きいのだけど)

 知っているつもりの「まち」を歩き、探ることは、まちを知るための第一歩であり、好きになるための入口である。

 歩こう。
 書を捨てず、地図を持って、町に出よう。


まち歩き中、白鳥の群れに出会う。どこへ?
「冬だな」という声にえらく同感。(本番)


 大袈裟に言うのならば。
 今夜もSo Whatで。



◆参考
●「凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩1&2」皆川典久 著


●「路上観察学入門」赤瀬川原平 著



●「kotoba 2015秋号」



●アプリ「仙台地図さんぽ」
 ▼for iOS
 ▼for android



●アプリ「大正仙台東西南北」

2015年11月19日木曜日

四ツ谷用水を追う

時々、歩く。
仙台の水網、四ツ谷用水。この痕跡を辿る。
いや、痕跡ではなく、暗渠となって今なお使い継がれる水路を辿る。

広瀬川の取水口からはるばる流れ、街なかの「北六番丁」という通りと合流する地点に、今も水の流れが刻まれている






通りから民地に不思議に延びる空白地帯。その勾配と形状が気になって古地図を広げてみれば、しっかりと描かれる水路。








100年前のこの古地図によると、かつては、橋がかかっていたのだという。
ここまで、少しの間民地の間を(半ばぬう用に)流れてくる。
橋をくぐり、そこから先は「北六番丁」の通りの南端をいく。

都市の血液であった用水。その動脈部分であったともいえよう。
同古地図には、二日町の北側にいくつかの銭湯のマークが見て取れる。
用水との関係性、水を介した生活景が想像できる。
一方で、先ほどの橋から先にはこの用水の痕跡はほとんど無い。
ここからは、或る時代を境に都市生活が変わっていった事が想像できる。
つまり、水の手に入れ方、水との付き合い方が変わったという事が。


だがしかし、民地をすり抜ける様子がはっきり見えるこの箇所は面白い。
名残、痕跡を発見するのは、何気ない風景からちょっとした違和感を感じ取ること・読み取る事からはじまるのであろう。
(やはり某番組のテーマ「下を向いて歩こう」という事なのだろうか。)




都市の断片、まちに潜む“ほんの痕跡”、からイメージしてみる事は、楽し。
アスファルトとコンクリートに敷き塗られた現代都市において、実は大きな意味のある事ではないかと思う。

大袈裟に言うのならば。
今日もSo Whatで。

◆参考
「暗渠マニアック!」吉村生・高山英男 著(柏書房)