2015年12月18日金曜日

《ブラタモリ日光編放送直前》日光の絶景を知るための4冊



筆者撮影


2週に渡って放送される「ブラタモリ」の日光編。
先週の「日光東照宮」というテーマに続き、今週末は「日光の絶景」というテーマである。
副題には 〜日光はなぜ"NIKKO"になった?〜 と付く。
今回のテーマを予習(もしくは復習)するための本を何冊か挙げてみたい。



●「日光砂防70年のあゆみ」建設省関東地方建設局日光砂防工事事務所
日光と「砂防」の関係の深を示す一冊。つまり、これは同時に自然との「付き合い方」に相当の工夫が要る土地柄だったことを示している。
地形的にどのような経緯があったかについても丁寧に書かれている。
本書の中では「日光の景観の美しさ」について、こう述べている。

<以下引用>
どんなに偏屈で頑迷な人間の心も奪う日光の風景の美しさは何なのか。なぜ? 
ひとつだけ答えらしきものを用意してみよう。 
自然はその潜在するエネルギーを放出しながら、極めて恣意的に形を変えつつ、一つの方向に向かう。 
それが山地の崩壊や地すべりであるか、土石流による土砂の流出や堆積であるかはここでは問わない。それを災害と呼ぶのは、我々であって、彼らではない。 
我々は、夥しい生命の連鎖のなかにあって、その循環の一部を構成し、ある一定時間の個体史を生きて、死ぬ。 
自然とその越えがたい、絶対に理解しえないあり方の差が、我々をして美しいと言わせる、あるいは美しいとしか言わせない宿命的な出会いとなったのではないか。
<引用終わり>本書P52より

砂防史で、ここまで哲学的かつ叙事的かつ叙情的に、的確に書き綴られたものはなかなか無いのではないだろうかと思う。
砂防技術とともに研究されてきた地学や自然科学の蓄積をしっかりと感じられる。
(※日光図書館に蔵書あり・非売品か?)







●「栃木の自然をたずねて」栃木の自然編集委員会
こちらも地学的、自然的に日光がどういう位置にあり、何がポイントとなるかを知る事ができる良書。(タイトル通り、取扱い範囲は栃木全般に及ぶ)
先週の放送「日光東照宮」で、タモリさんは東照宮の石鳥居を「花崗岩であって、この辺の石ではない」ことを見事に言い当てた。つまり、黒田長政公の膝元、九州は福岡で造られ、そこからはるばる海路、舟運、陸路を経て日光まで運ばれてきたのだ。
では、日光周辺の岩石が何かと言うと「安山岩」である。
これは何を指すのかが、「日光の絶景」を紐解くヒントになるのではないかと考える。
栃木が関東平野の「盆」の平地と山地の中間域に股がり存在しており、日光はその「際」に位置している事がよくわかる。大俯瞰してみた時の変異点という事か。
そう考えると、神橋の位置も非常に意味深で、山脈・山地の終わりと関東平野のはじまりを知らせる、象徴的なものにも見えてくる。または、スイッチ的な役割も果たしている、とも言えまいか。
(※現行本として購入可)





●「日本のホテル小史」村岡實
江戸時代が終わり、世の中の価値観と体制がガラリと変わる。しかし、それでも日光は残った。むしろ観光地としてそれまでとは違う「新しいお客様」の層が日光をたずねることとなり、発展して行く。
それは、いったい誰で、どういうきっかけがあったのか。本書の中にそれが記される。
長崎や横浜といった「一見日光とは関係がなさそう」な都市と、軽井沢や箱根、といった「兄弟」「同士」(もしかしたら競争相手?)ともとれるまちとの関係性が見えてくる。
明治初期のうち横浜居留地界隈では、洋館であればなんでも「ホテル」と呼んでいたというエピソードも微笑ましい。
(※古書として購入可)






●「日光避暑地物語」福田和美
この本のタイトルが前項目の答えになってしまうだろう。
しかし、日光が他の避暑地と決定的に違ったのは何だったろうか。
江戸時代に打ち立てられた金字塔としての社寺がある。そして、もう一つあるのだが、それは何だろうか。(おそらくそのネタバレになってしまうので、著者のもう一冊の著書はここでは挙げない。その著書名がずばりである。)
著者の福田和美氏をお招きして2011年に行った講演会の最後で、これからの日光が観光地として目指す姿について氏は、「物語のある懐の深いまち」「謎のあるまち」「魅惑するまち」という事を挙げていたのが印象深い。
大小様々な歴史のストーリーの重層が、日光には、ある。
今回の放送ではそれが紐解かれることが期待される。
(※古書として購入可能か?こちらも日光図書館に蔵書あり)








さて、またもや今回も直ぐには手に入らないような本が並んでしまった。
ご了承いただきたい。日光周辺にお住まいの方は、是非日光図書館へ。

前回と合わせて、参考になるような本を並べて見てみると、時代的には一時代前に書かれたものが多い。
もうすこしこれらを体系的に編んだ新たな地史が、そろそろ必要ではないかと思う。
もちろん私の生まれた頃(三十云年前!)に編まれた「日光市史」もあり、敬意を表しつつ、ことあるごとに参考にしている。
しかし、現代の視点でポイントを押さえたコンパクトな地史で良いと思っている。もしかすると、多重な歴史要素を分解して必要なものだけ持ち運びできるものであると良いのかもしれない。


日光は、深い。




もしかしたら、それら全てが重さに映り、なかなか近づき難さも醸し出しているかもしれ
ない。
しかし、それは誤解だ。
ポイントを押さえれば一気に景色は変わる。視点が変わる。

その辺を教えてくれるのが、ブラタモリという番組であり、タモリさんの視点ではないかと思う。
こういう部分に大きく寄与している。


「むずかしいことをやさしく、 
やさしいことをふかく、 
ふかいことをおもしろく、 
おもしろいことをまじめに、 
まじめなことをゆかいに、 
ゆかいなことをいっそうゆかいに」
( 井上ひさし)


この井上ひさし氏の言葉を信条にしたい。

筆者撮影


今回のブラタモリという番組への協力は、我々にとって本当に良い刺激となった。
様々な意味で足下を見直しているところである。
番組関係各位に感謝を申し上げたい。

仲間たちと、まち歩きガイドツアー「日光ぶらり」に最大限に活かしていきたいと考えている。


前編「日光東照宮」を知るための6冊はコチラ↓


2015年12月9日水曜日

《ブラタモリ日光編放送直前》日光東照宮を知るための6冊

念願の「ブラタモリ」が日光へやってきた。
第一シリーズからずっと見続けてきた一視聴者としては嬉しいかぎりだ。
しかも、今回は(微力ながらも)取材に協力させていただいた。光栄な事。


喜びついでに(?)、まずは一週目のテーマ「日光東照宮〜東照宮は江戸のテーマパーク!?」の予習(もしくは復習)となるための書籍をいくつかここでご紹介したい。


筆者撮影



●「日光東照宮の謎」高藤晴俊 著 
日光東照宮の創建の謎から、彫刻ひとつひとつに託された意味までを紐解く名著。
 家康公は生前一度も日光を訪れていない。では、いったいなぜ「日光」だったのか。
江戸、富士山、久能山、世良田(群馬)と日光をめぐる壮大なコスモロジーや意味。そこに込められた想い。では、そもそもその想いは誰が込めたのか。その辺は今回の「ブラタモリ」でもテーマとなるのではないかと予想する。
 東照宮以前の日光に想いを馳せる事もできる。
 冒頭に著者は「反官贔屓」という語句を使用して、徳川家康の神格化や東照宮の(主に)明治以降の評価について述べている。これは、私も全く同感である。
 「反官贔屓」や「偏見」というものは、未だにじっとりとつきまとっているように感じる。 読み解くのがそれくらい情報量の多い、東照宮である。陽明門一つとっても別名「日暮らしの御門」と呼ばれるわけだ。
 しかし、平和な時代をつくりたい、という強い信念が結実し、打ち立てられたのが江戸時代と言える事は、いずれにしても明白である。 
氏の著書は他にも複数あるが、是非、まずはこの一冊を。 
(※現行本として購入可)







「日光東照宮の成立」山澤学 著 
地元出身の研究者である山澤氏の著書。
東照宮の成立過程と共に、門前町の形成過程や生業の様子までが丁寧に調査・整理されている。中でも祭礼という社寺と門前町(ここでは日光惣町と呼ばれる)を深く関係づけるものが紐解かれつつ書かれている点が大きい。 冷静に考えれば、家康公の遺言「日光に小堂を建て…」というものと、イメージする現在の東照宮の煌びやかな姿にはかなりギャップがあるのではないか。 では、なぜ今の姿になったのか。
「荘厳」はどのようにして成立したのかが伺える一冊。 
(※古書として購入可能か?)





 


「東照宮」大河直躬 著 
東照宮という「建築」について知るならばこの一冊。
権現造(づくり)という、日光東照宮をはじめとする建築様式についても解説されている。 
氏は、近年のインタビューでもタウトの評価(後述)を挙げて、それ以降の建築的評価の低下を指摘している。つまり、江戸が終わってからの明治〜大正までは「日本の代表的建築」という評価があったが、タウトの酷評以降は大きく評価が二分したと語っている。
新たな価値観が吹き込まれた結果ともいえるかもしれないが、必ずしも日光東照宮建造と造替の「意図」が伝わっての評価とは言えないだろう。 
著者の大河氏は今年9月に逝去されたとのこと。 
きめ細かい調査と分析に敬意を表しつつ、ご冥福をお祈りしたい。
 (※古書として購入可)







「東照宮の近代ー都市としての陽明門」内田祥士 著 
造替、修復の履歴から、東照宮に関する評価、批判まで丁寧に並べ記されている。
神仏分離をどのように乗り越えたのか、特に明治以降の大きな修復にかかる場合、どのように議論され、工面されてきたのかが、本書で体系だてられている。
 東照宮の彫刻、殊に陽明門の彫刻にはメッセージがあり、教育論を挙げているものが多い。
メッセージを込められた構造体を「建築」と呼ぶか「工芸作品」とするかで大きく評価は分かれることだろう。 
「都市としての陽明門」という本書の副題でありキーワードにハッとさせられる。 
※現行本として購入可)







日本美の再発見」ブルーノ・タウト 著
 桂離宮の高評価と裏腹に日光東照宮を「いかもの」「少しも親しみがない」と評したブルーノ・タウトの話しは有名である。
 そもそも「親しみ」を求める空間ではない事は明白ではなかろうか。そして、彫刻一つ一つが物語るメッセージを理解した上での論考ではない事も大きい。
 日本美を決めつけた、ある意味偏った、冷静な、評価とは言い難いものであると私は思っている。つまり、いわば「主義論」「印象論」に過ぎないのだ。
 一方で、どのように外国人の目に映ったのかという参考程度にはなろうかと思う。 
法隆寺大工の棟梁だった西岡常一氏も東照宮を指して「建築ではなく工芸品」「あんなもんは芸者」という扱いをしている。
 「建築」というカテゴリーに当てはめた評価など、元来不要なのかもしれない。 時代の視点である。
400年経った現在だからこそ持てる視点と、できる評価があろうかと思う。 
宮本健次氏の「桂離宮と日光東照宮〜同根の異空間」も一緒に。 
(※現行本として購入可)





 

「栃木の日光街道」日光街道ルネッサンス21推進委員会 編 
東照宮の成立によって、「日光街道」も交通、物流などの要となった。
江戸の五街道のうちの一つである。しかし、決定的な違いは「参詣」の道であった事だろうか。その参詣の対象も非常に明確であったことは特異性を決定づけるだろうと思う
。 江戸と日光の関係性は非常に重要だった事が分かる。
 本書は図画や写真の点数も豊富で、イメージを膨らませることができる。 
鉢石山観音寺蔵の日光門前の古地図なども掲載されており、非常に興味深い。 
(※古書として購入可)


 



手に入るものをと思いつつ選んでみたが、アマゾンや大手書店のネット通販などで調べてみると、現行で手に入ると思っていた本が、中古で今やえらい金額に跳ね上がっていることに驚く。


結果的に現行ですぐ手に入りそうなのは2冊のみという不親切なものとなってしまった。書店にお問い合わせいただきたい。 
いかんせん、某日曜日の昼下がりのラジオ番組の、アーティストとかレーベル特集のようになってしまった。あるいは「棚からひと掴み」ように。



筆者撮影


 まずは、最初に紹介した高藤氏の一冊を是非手に取っていただきたい。

よしなに。

2015年12月6日日曜日

地下鉄東西線が走る!

仙台市営地下鉄東西線が開業した仙台。
お祭りムードの1日だった。



自分の住む南北線沿線の駅から仙台駅で乗り換えて、東の終点の荒井駅まで。
乗り換えホームで乗り換えるのは
なんとも都市的。
単に利便性が高まった、とだけは言えないのではないか、と考える。
都市としてのイメージが高まったのも同様で、むしろ今後その可能性は様々秘めているのではないかと。



国際センター駅での光景は、それを良く表していたと思う。


車両が走る姿を写真に撮るために人垣は絶えず、このロケーションに感嘆の声も上がっていた。
ここで結婚式を挙げたい。なんて会話も聞かれた。


一方、静かに過ごす事もできるこの場所を気にいり、それはきっと仙台市民の共感を得るだろうとの予想をする会話も、コーヒーでひと息入れる隣で同じくコーヒーを片手に腰掛ける老夫婦から聞こえた。


一番町あたりの街なかは、人の波。
他の駅でも様々なイベントが開催されていた模様。



国際センター駅でお会いした某商店街の組合理事長氏は、同駅のロケーションや立地の素晴らしさを挙げ、エリア同士の連携も重要だと仰っていた。

街なかからほんのちょっとで、素晴らしい風景が広がり、新たな(ちょっとした)過ごし方の可能性もある。

先ほどの老夫婦の会話に共感しつつ、期待したい。

東西線、最初の1日。
特別な日でありながら、車内で文庫本を読んでいる人の姿を見て、早くも日常の中の交通手段に、少しだけなっていってるんだなと感じた。

日が暮れ、30年目の光のページェントがはじまった仙台。


まさに、記念すべき日。

お祭りムードを引きずりつつ、年末へ向かう。
日常にちょっとした非日常を保てるかが、新しい交通手段が加わった街の肝になるのではないかと考える。

すっかり冬である。


今夜もSo Whatで。