2013年12月6日金曜日

火の熾し方について



考えてほしい。


火を熾す時を考えてほしい。


おそらく多くの場合は、薪なり炭に火をつける事が目的だと思う。


焚付けに何を使うだろか。
新聞紙や落ち葉だろうか。それとも着火材だろうか。


薪なり炭に火が着いていないまま、焚き付けを燃やし続けている状況は、まさに不毛であり、その一瞬を凌ぐに過ぎない。
そんな状況を少なくとも、「持続」とは呼べないだろう。


新聞紙はどのように燃えるのか。その広げたまま火をつけるか、固く握った状態だとどうなるか、折り畳むとどうなるか。
落ち葉であればどのように燃え、どのくらい煙がたつか。
では、どのようにすれば焚き付けの役を果たすか。

まずは火を熾す為に知ろう、やってみようという事が肝心ではある。
が、それらを知らぬと、燃料を焼べ続けるような状況を生む。
意外と牛乳パックも良い、なんて情報も、情報だけでは実践には繋がるまい。


完全に何かのメタファー的な話しになった。

さて、モチベーションに置き換えてみる。
火なんぞは己の中で静かに燃えていれば、それで良いのだと思う。

燃え続けていれば。

持続が肝心。


連鎖は自然と生まれる。燃え続けている人の中に。

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