2016年6月7日火曜日

雨の朝のヴァンガード

先日、三陸方面の視察で訪れた気仙沼。

一泊した朝に、少し早起きをして、事前に友人に情報をもらっていた喫茶店にひとりで行ってみる事にした。

ヴァンガードという。
市の中心部にある喫茶店は、朝7時半からやっているとのこと。

生憎の雨だったが、宿から歩いて出かける。



店構え。なんとも趣のある佇まい。
こういう寸景を大事にできるまちでありたいものだ、と思った。

津波の被害は間違いなくあっただろうが、それを感じさせない雰囲気がある。
8時少し前に店に入った時点で、他に2人の先客がいた。
一人はスーツ姿の男性、サラリーマン風。もう一人は若い女性で、こちらもこれから出勤と思しき様子。

ブレンドコーヒーが260円。大きいサイズでも330円。
大きいイサイズを頼み、落ち着いた静かな店の雰囲気の中、待つ。



店主は、ひとりランチの仕込みのためだろうか、カウンター表に背を向けて、コトコトと野菜を切っている。
私の頼んだコーヒーは、サイフォンでポコポコと音をたてていて、いい香りが漂う。

折り込み部分のあるテーブル、革張りのイス。店のロゴの入った灰皿。
そして、ちょっと曲面のついたカウンターテーブルと、大きめのスピーカー。

ジャズピアノが流れる店内でコーヒーを飲みながら過ごす朝の時間は格別だった。





ほどなくすると、女性が会計を済ませて店を出て行く。
女性は「それじゃ、行ってきます」という。
店主は「いってらっしゃい」と送り出す。
常連なのだろう。

町の普段の姿を垣間見えて、なんだか少し嬉しくなった。
そして、そういう朝の時間の過ごし方が、とても豊かに思えた。

格別。特別。私にとってはそういう時間が流れる。
しかし、町の人々にとっては、普段の時間。
でも、もしかしたら、ちょっと特別な時間を作り出しているのかもしれない。
こういうそれぞれの視点や価値の交差する場所・時間が面白い。
「普段着のまち」が垣間見える瞬間が面白い。

旅の醍醐味ともいえると思う。





帰り際に、店内で流れている音楽の演奏者を尋ねると、CDジャケットを見せて教えてくれた。
「この人達は、10月にここでライブをやります。」と丁寧に付け加えてくれた。
(なんとなく、英語の教科書の例文みたいだ。)
定期的にライブも開催される喫茶店。素敵だ。

コーヒーはもちろん美味しかった。
他のメニューに目をやると、ランチなどの所謂コスパに驚く。
これは、今度はフードメニューを頼んでみたい。
嗚呼、朝以外の風景も見てみたい。もちろん、また朝にも来てみたいけど。

そんな欲張りな事を考え出すと、もうその店の虜。

忘れじのヴァンガード、となった。
また、再び訪れたい店が増えてしまった。


今夜もSo Whatで。

2016年6月3日金曜日

日光門前の人口推移(1995〜2010)


日光門前地区の人口を調べている。

「日光門前地区」を、日光弥生祭の家体(やたい)献備町内に若杉町、相生町、宝殿、萩垣面、山内を加えた範囲としており、所謂、本来の日光の中心部の範囲を指すものとした。

国勢調査の統計を元に、平成7年(1995年/今から21年前)と、平成22年(2010年/今から6年前)のものを比較してみている。
昨年実施された最新の国勢調査の数値の詳細(町丁目別等)はまだ発表されていない。
(最新情報が発表され次第更新したいと思う。)


さて、この通りである。

まず対象地域全体から見ていくと、
6,304人から4,725人に減っており、15年間で0.75(75%)まで落ち込んだ、という事になる。

この同じ時期に、日本全体の人口は1.019倍になっている。
宇都宮の人口は、1.072倍だ。
都市部は微増し、しかし、今では下り坂に向う。

近隣で合併(所謂平成の大合併)をしていない矢板市の同時期は0.96倍である。

特に人口5万人を切るくらいの地方小都市は、軒並み早いうちから人口減に転じている。
日光も他の地方小都市のように、早いうちから人口減少に転じている、といえる。
もちろん、今回の日光門前の人口については、合併前の日光市域をカバーするものではないが、現日光地区全体の減少歩合はこれとほぼ同じと見て良いと思う。

昨今、超高齢化についてはメディアでも頻繁にとり上げられるが、この人口減と照らし合わせて、今後10年、20年、30年を再びイメージして欲しい。

いくら「国際観光都市」を名乗りつつも、このままでは少ない「まち」の担い手に、負担だけが押し寄せる事になる事は、想像に易い。

この状況に真っ向から抗い、人口を増やしていく。というのも、もはや唐突な発想としか言えないほど、これからは価値観と暮らしがねじれていく事だろう。

シュリンクしていく中で、どう維持していくか。

維持していく事でさえ、かなりの労力を必要とするような事態になっている。
何に積極的になるべきかは、自ずと見えて来る。


次に、東西の町内毎の人口をみていきたい。






「町内」という身近な単位で数字を並べてみると、門前地区全体の縮小度合いもうなずけるのではなかろうか。

・ほぼ右肩下がりのグラフが並ぶ中、数カ所増加している箇所がある。
・それは、東和町、若杉町、宝殿などの東町の東側に見られ、特に若杉町の増加は顕著である。これは市営住宅の建設に伴うものと思われる。
・山内の減少率は少なく、この中でも比較的人口が安定している。

ざっくりと、こんな事が言えるのではないかと思う。

弥生祭で考えてみると、西町の「大工町」「板挽町」は匠町にあたり、この人口を単純に二等分したとしても100人を上回るくらいの人口となる。
人口100人〜150人で家体巡行を担わなければならない町内は、前述の大工町、板挽町。
また、100人を切っているのは上鉢石町と、現在休年中の中鉢石町、グラフ中の「本町」の人口を分け合うことになる中本町、下本町、袋町(いずれも休年中)もそれぞれ100人を切っているのではないかと思われる。

ここからは勝手な推論になるが、上記のことから、《町内人口=100人》を家体が献備できる一つのバロメーターとなるのではないかと考える。
もちろん、各町内の人脈や様々な工夫、努力により維持している事、この限りではないことも承知の上でこのように書いている。

閑話休題。

祭りもそうだが、普段のまちも担い手が居なければはじまらない。
当然のこと。
ましてや年間1,000万人から訪れる観光客(交流人口)の担い手がどうか、受け止められるかどうか、という深く大きな課題としても我々の前にのさばっている。


自らの商いだけでは、「まち」にはならず、いずれそれは自らに跳ね返ってくる。
という事である。

まちづくりは、まわり道の発想が肝要。
直利、目先の損得だけでは、いずれ立ち行かなくなるだろう。

今日のそろばんを弾こう。
明日のそろばんも弾こう。
でも、近い未来の算段と、将来のまちの姿も思い浮かべてみることも忘れずに。

だから、ちょっとでも余白を作り出し、まちづくりをしよう!

といったところだろうか。




長くなったが、最後に国立社会保障・人口問題研究所のホームページから上のGIFを拝借する。
1920年から現在までの推移と、今後2060年までの人口予測がグラフの動きでわかるもの。
三角からやや釣り鐘型、壷型と変化し、やがて全体が痩せ細っていく。

どういうことなのか、よく考えたい。

国立社会保障・人口問題研究所のホームページ


今夜もSo What  …ではない。


2016年6月2日木曜日

読書記002:世界遺産 聖地日光(下野新聞社編集局・著)

 2014年から1年3ヶ月かけて下野新聞に連載された「聖地日光」は、三部構成のロングシリーズだった。この連載は後に本になるだろうな、と思いながら読んでいた。
 (まだ情報が出る前に或る記者さんに聞いたら、そうです、との回答だった。)






 ずばり、「一気読みできる日光史」だと思う。

 読みやすい文体と、複雑なストーリーを完結に繋いでいることで、すっと頭に入ってくるよう。この辺は新聞社編の刊行物ならではだと思う。
 また、日光開山の歴史から昭和までが時間軸に沿って網羅されている。(一部順序は入れ替わっているものの)
 連載記事では、現在に影を落とす課題なども書かれていたが、書籍化にあたって割愛されたようだ。

 東照宮の高藤氏は著書で「徳川家康には判官贔屓的なものの反動がつきまとう」という主旨の事を述べている。それがそっくり東照宮や日光に当てはまるという印象を私も持っている。
 つまり、成し遂げたり歴史を打ち立てたりした側よりも、それが叶わなかった側に無条件に同情するような、人間感情を寄せやすいという、謂わば法則的なものである。

 したがって、この辺が日光に誤解や偏見をもたらしている大きな理由であると思うのだ。

 日光は分かり易い。
 そう思っている人は、膨大な情報両と夥しい経験値を得て今のまちが有る、つまり、日光の複雑さに是非触れていただいきたい。

 逆に日光は複雑過ぎる。難解。
 そう思って、もしも日光をより深く知ってみることを遠ざけている人には、歴史のターニングポイントになった部分や、キーマンなどを押さえつつ、更に何故?を追求していくと、どんどんと面白くなってくることに、是非気付いて頂きたい。
 難しい事では無いし、別に恥ずかしい事でもない。と、思うのだ。
 
 かく言う私も、こんな風に偉そうに語りつつ、まち歩きのガイドの為に少しづつ学んでいる最中なのである。




 日光、ひいては栃木の言葉で「わられっちゃう」と言うと「笑われてしまう」という事を指す。
 どうも、この「わられっちゃう」が様々なクリエイティビティやアクティビティを阻害しているように私は感じている。だいたいからして、揶揄や嘲笑することなんて、誰にでもできるのだ。

 わられて何が悪い?

 そう思うのである。
 知らないことは恥ずかしいことでは無い。
 ただし、知らないのを放置したままは、ちょっと恥ずかしいかもしれない。

 この本が「日光を知る」入口になることを願う。是非、扉を開けてみていただきたい。

 そして、是非日光門前のまち歩き「日光ぶらり」にもご参加いただきたい。

日光ぶらりのFacebookページ
https://www.facebook.com/nikkoburari/

 
 …さて、ステマで終わるわけにはいかない。

 本テキストで何を伝えたいか。
 日光に触れる事は、日本を学ぶ事に他ならない。
 大袈裟にいうのならば。

 …いや、決して大袈裟でもない。

 日光の転換点は、日本の転換点にそっくりそのまま当たる。

 まさに

 Nikko is Nippon

 なのである。

 是非、本書を手に取り、日光へ訪れてたっぷりと歩いて頂きたい。

 今の時期は緑分を多分に含んだ空気が、本当に美味しいのだ。