2011年7月20日水曜日

こんな事を考えていた。(2000年頃の自分)

昔のいろいろを整理していてその頃の自分を振り返った。


学生時分に、某社の採用試験で問われた「宿題」に対して書いたものが出てきた。
今から11年前の2000年の夏、22歳の頃。当時の渾身の文章。
ネットやモバイルも、その当時を思い出しながら恥ずかしく読み返し…。
今となると疑問な点も多々あるのだが、当時のまま晒してみる。


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これからの都市計画・まちづくりについて


 この数年の間、画一的な都市計画から抜け出そうという考えが、一般化しつつある。しかし、それらはなかなかうまくいっていないのが現状のように思う。
 この100年は、技術的な面で大きく発展した世紀だった。今では、都市計画にしても「おおよそ」の基盤はできあがってしまっている。多分、技術というものは「画一的」で「表情のないもの」であるし、その技術がまた表情のないものを大量に生み出す。この繰り返しをしてきたのではないかと思う。
 人が利便性や快適性、機能性を求めるとそうなるのは必然的だ。もちろん技術的な躍進は必要だが、あまりにもそれを追い求めると他の事を忘れてしまう。おそらく、そうしたものへ疑問を投げかける者もあったが、それらはただの「保守的な考え方」や「ノスタルジア」などとしかとらえられず、人は進化し続けて来たのではないか。
 こうした向こう見ずの進化は、ここ最近バーチャルの世界にも都市を創り出すまでになった。
 高速で情報がやり取りされ、もはやその情報量は一人の人間が消化できる量を超えている。大量の情報を「摂取」できても、それをそれぞれの胃袋で「消化」できないのだ。今は、大量の情報を高速でジャッジできる能力が求められている。
 モータリゼーションもそうだ。確かに車を使うのに困難な中心市街地へ出かけるより、郊外の大きな駐車スペースのある百貨店へ行き一週間分のまとめ買いをし、車に積んで帰った方が能率がよい。
 簡単に言ってしまうと、「自分の家」と「自動車」そして「モバイル」があればよい時代がそこまで来ている。
 それは多分「都市は必要ない」ことであり「都市は必要か?」という疑問が「今」投げかけられているのではないかと思う。
 だが、多くの人はこのことに気づいていない。一部の専門とする者や興味のある者だけがこのことに気づき、頭を悩ます状態である。エコロジカルな問題は近年大きく取り上げられているが、考えるべきことは他にもたくさんある。
 そして、これからの「まちづくり」は行政やプランナーだけのものではない。
 住民が主体となって「まちづくり」をしていくべきである。(だいぶそれを行っている都市もあるようだが)
 その際、「その土地の魅力とはなにか?」を見つけるべきである。我々が都市を考える時、どうしても「ここがいけない」とか「ここをどうにかしたい」といった方に目がいきがちだし、実際にそこに住んでいるとなかなか気付かないいことが多い。
 都市には都市の魅力があるだろうし、農村には原風景的なものが多く残っている。都市でも農村でも「持続」する事が求められている。都市では早い循環にについていける住まい方、農村では時代に捕らわれることなく住み続ける「意識」が必要とされているように思う。また、それぞれの地域にはそれぞれの歴史、気候、風土、地形、風景がある。画一的な都市づくりをしてきた今日、特に歴史や地形、風景を研究することが重要である。
 そして、政治・行政、専門家・プランナー、住民への教育・啓蒙などあらゆる点から都市を考えないと、これからの「まちづくり」は困難である。
 人々がそれぞれ、自身の身のまわりを少しずつ考え、その住む土地を好きになり、元気になるように活動する。助け合う。我々はそのサポートをする。それぞれのコミュニケーションが生まれる。
 「リアルな都市」の魅力は、その辺にあるのではないかと思う。




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さて、いよいよ恥ずかしい。
ぼんやりしすぎているのは数値的根拠の無さからか。
まあ、論文の類いではなく熱意である。
頑張って打ち立てようとしている努力だけは認めてあげよう。笑




化粧屋仁右衛門、大学生。若け〜。

2011年7月18日月曜日

鎮守の森は、深緑。


舞い降りてきた、静けさが。


などと口ずさめば、突然の雷雨。
夏の午後。


この深い森の、ひんやりと厳かな時間と空間を、子供の頃から日常の中で体験できた幸せは、大人になって分かる事なのかもしれません。


子供心に「踏み入れることの意味」と「わきまえ」や「怖さ」を教えてくれていたような気がします。
もちろん、当時はそのそれぞれは表現する術もなく、心に残るのみでありましたが。




日光山内にて。

2011年7月10日日曜日

なぜ、小布施に惹かれたか。







四月の中頃、長野の小布施に行ってきました。
前からの念願の町に行く事ができるというのは、言いようの無い喜びがあります。


栗の小径、立ち並ぶ店舗、森の駐車場。どれも素晴らしかったです。
開催されていた苗市や図書館まち図書テラソについてはまた別の話しにします。


かつてのプライベート空間ともいえる小径。こういうまちの「裏側」を表として、しかし、喧噪ではない「自分だけの空間」を保っている、魅せる空間づくり。
これは日光でも絶対に参考にすべきと思います。






森の駐車場はその名の通り、敷地の100%を駐車スペースに充てず、草木を配して森の中にあるような雰囲気を作っています。
駐車効率や維持管理を考えると、簡単に真似のできる事では無いのは当然の事ですが、「小布施らしさ」や「来街者への最初の印象を大切にする」強い意志の現れではないかと思います。






ちょうどオープンガーデンが行われていました。
これは、各店舗や家々の庭を自由に拝見できる企画で、
来街者にはもちろんのこと、街の人々にも「見せる、見られる」という程よい緊張感が手入れ・管理等につながり結果良好な空間を生む事に繋がっているのではと考えます。
(栃木県でも那須など県北方面で同じような取り組みがあったような気がします)




植物と建築そして歩行空間のバランスが優れているという事なのでしょうか。
どこを歩いていても、心地よかったです。


そして、また行きたいと思う街なのでした。


いくつか前のエントリーで「公園的な街路空間」と書きましたが、こういう小布施でのイメージが多分に頭にあったのだと思います。


小布施では「結果観光」という言葉を使っているそうです。こうした魅力的な空間づくりが実を結んだ「結果」なのだと。
そして、「交流」を重視している流れは、まさにパイオニアなのだと思います。


長い時間がかかること。今動かずにいつ動く。
日光も頑張って「空間」をもうちょっと意識していきましょう。みんなで。


前進!

修景とランドスケープ的な手法。街並み景観については、どうしても建物とその保存についてに焦点が当たりがちだが、庭や生活道も含めて「らしさ」を追求していくべきという事を再認識。結果観光の町。学ぶ所は多い。

日光の建築〜旧日光ユースホステル〜



旧日光ユースホステル。
(芦原義信1959)


数年前、はてあのユースホステルは今どうなっていただろうかと気になった。
ボーイスカウトなどで子供の時分に宿泊経験が何度かあった。
芦原建築である事を知ったのは確か大学の時。日光の建築を調べていての事だった。
今から十数年前に付近に代替の施設が建設された事で役目を終えてしまい、そのまま放置状態である。この日光にあって貴重な建築が、である。
関係機関と調整の上ようやく昨年夏の見学会に繋がるわけだが、このモダンな佇まいは、今も山にのまれつつ生きている。
当然の事ながら上の写真は、竣工時のものである。


見学会は東京方面の地域外からの参加も多かった。想像以上の反応をいただいた。
見学会の後も幾つか活用についての相談をいただいたが、目に見える活動に至らずに現在がある。












このような建築をこのまま打ち捨ててしまって良いわけがない。


良法を探りつつ一歩一歩あゆむのみである。




そのように考えていた中、先日上のような参考資料を提供いただいた。海外(特にドイツ)のユースホステルの事例が間取りや往時の写真と共に掲載されている。
来晃と共に提供くださった原氏に深く感謝申し上げたい。




見学会の様子等ユースホステル関連はNPOブログにて。
http://www.npo-nikko.jp/blog/sb.cgi?cid=27

2011年7月7日木曜日

この季節、日光のテクスチャー。


日光の夏。
石と苔、草花の織りなす歩行空間。
日光の深みへと向かうしっとりとした空間です。
唯心坂にて。