2013年12月6日金曜日

火の熾し方について



考えてほしい。


火を熾す時を考えてほしい。


おそらく多くの場合は、薪なり炭に火をつける事が目的だと思う。


焚付けに何を使うだろか。
新聞紙や落ち葉だろうか。それとも着火材だろうか。


薪なり炭に火が着いていないまま、焚き付けを燃やし続けている状況は、まさに不毛であり、その一瞬を凌ぐに過ぎない。
そんな状況を少なくとも、「持続」とは呼べないだろう。


新聞紙はどのように燃えるのか。その広げたまま火をつけるか、固く握った状態だとどうなるか、折り畳むとどうなるか。
落ち葉であればどのように燃え、どのくらい煙がたつか。
では、どのようにすれば焚き付けの役を果たすか。

まずは火を熾す為に知ろう、やってみようという事が肝心ではある。
が、それらを知らぬと、燃料を焼べ続けるような状況を生む。
意外と牛乳パックも良い、なんて情報も、情報だけでは実践には繋がるまい。


完全に何かのメタファー的な話しになった。

さて、モチベーションに置き換えてみる。
火なんぞは己の中で静かに燃えていれば、それで良いのだと思う。

燃え続けていれば。

持続が肝心。


連鎖は自然と生まれる。燃え続けている人の中に。

2013年12月3日火曜日

仙台の街から〜1年半



仙台に新たに住まって一年半が過ぎる。
あっという間だった。

10年前に仙台に住んだ時には、雄大な川辺を選んだのだった。(比較的に沿岸部に近いところ)
今は街なかに住んでいる。


季節感と遠いかと言えば、そうでもない。
街路樹に大いに助けられつつ、それでも、なんとなくのんびりの建物達であるので、空、風、道ばたとそこに生える植物などから季節を感じる事ができる。
都市の“便利”に塗れてしまったが、ふと感じるものはそこここにある。


思うのは、様々な人の間で生きる実感である。
濃淡は言わずもがな、様々な関係性が飛び交う。
一様な関係性を求めがちな地域とは違う事を、肌で実感する。


山下達郎氏は言った。
「僕の歌詞のテーマを大きく言うと、都市生活者の孤独、疎外。でも、都会にも雨は降るし、風は吹く。そういうことに興味があったんですよね。」
(一部引用:チケットぴあ「山下達郎100Qhttp://www.pia.co.jp/100q/198/page3.php




もう暫くは続くであろう日光との二点居住生活を「授かったもの」と考えている。
有意義なものにしたい。



《関連エントリ》

「仙台の街から〜思う事」 http://niemonk.blogspot.jp/2013/08/blog-post_3616.html

2013年11月30日土曜日

リニューアル/オーバーホール




日光の話し。

最近は日光のプロジェクトについて色々とお話しする機会をいただき、その度に『街並みの「リニューアル」』という風に言っている。
便宜上、という表現が正しいかもしれない。
現状では、あまりにも編集されて面影が残らない状況が、確かにある。
一方でこれから先の時代を見据えたら、技術を踏まえた上での「今」の街並みづくりは必要なのも事実である。
開始から今まで、そのあり方を探りながらの事業進行だったのだと思う。

正解は無いが、答えを出しながら進んで行くしかないという事は分かった。
そして、やらねばならない事も見えた。
悩みは尽きないだろう。
この悩みの直中にある我々は、230年後の具体をできるだけイメージして活動せねばなるまい。
それは、次代にバトンタッチしていく事も当然含まれる。

歴史には真摯に向き合いながら、向くべき方向は未来なのだ。
このまちの辿った歴史の片鱗を大切にしたい。

そう考えると、リニューアルではあるが、「オーバーホール」の側面をもっともっと大切にしないとな。と思う。
感覚的に「そうかな」と思っている事は、経験と、考えと、対話により明確化される。


さて、今夜もSo Whatで。

2013年11月17日日曜日

雑記〜晩秋




夏くらいからずっと悩み考えていた事が、この週末にふとクリアになり、少し軽くなった。(それ以前からずっとくすぶっていた事ではあるのだけど。)

いや、正確にはその一部が見えたに過ぎないんだと思うけども。

「NPO法人日光門前まちづくり」ができてから7年が経った。
(※設立当初は「NPO法人日光東町みんなのまちづくり」という名称だった。)

日光のまちづくりについては、大学の時から研究をしている。
だから、俺自身はもう15年くらい日光のまちづくりを考えている。

考えるだけではない、活動の中で見えて来た事もある。

掛け違えたことも、思い違ったこともあった。
一方で、そこから得た事は多い。
様々な関係性が築けた事は財産だと思う。

「かけがえのない」という事の実感。


歴史の重み。
小さな範囲に情報がぎっしりと詰まっている日光のまちの、その一つ一つと丁寧に向き合っていきたい。

学び、すくい上げ、まちの知としてシェアしたい。
そうやって紡いでいきたい。

発信競争。セルフブランディング合戦みたいな世の中で、
できるだけ真摯に。できるだけ謙虚に。

まちづくりとか地域づくりにマジックなんて無い。


基本は紡いでいくこと。

そこには、楽しみと、軽やかなアイディアを。

悩みながら。迷いながら。
時にブレイクスルーを。



大袈裟に言うのならば、きっとそういうこと。
恥ずかし気もなく言うのならば、きっとそういうこと。

今夜もSo Whatで。

2013年11月3日日曜日

「言わない」と言っておく。




相も変わらず。

「なんだかなぁ…」と思う事が多いのだけど、詳しくは言わない。
「言わない」とだけ言っておく。


さて、さっさとプロジェクトをやりましょうかね。

たくさん学びましょうかね。
志を同じにする人達と。

だいたいまちづくりの「成果」なんて、そうそうすぐ見えるものではない。


沸騰中の評価だからといって、全てをあてにしないこと。
少しは冷静な頭で、自分で考えること。
(一方で、様々に耳を傾ける事。)
光輝くものだけに目を奪われない事。自分ごとではなく、「群がる」ことにすぎない。

勢いは大切。でも、息切れしないこと。

成果は取り組みの積み重ねでしかない。

ここまでの活動で、色々と見えて来た。
そして、地元を離れる時間が多くて更に俯瞰して見れてきた。

当事者としてのまちづくり。ここ2年くらいが勝負。
プロジェクトが大きく動くとき。
ネットワークもぐんと拡がるだろう。
(なんでも「つながれ」みたいな「つながり症候群」的なのは御免だけど。)

さて、しまっていこう。
今夜もSO Whatである。

2013年10月12日土曜日

秋なので…春を思う。

さぼり気味のSO WHATブログ。
…というか、全然書いていないブログ。
ごくたまに書きたい衝動に駆られる。

FacebookやTwitterで半ば発作的につぶやくのも、画像を投稿するのも、また単にライフログ的になってしまうのも、まあ、いいだろう。
しかし、そんな状況にちょっと若干疲れ気味でもある。
そんな中、半年前の春の祭りをふと思い出した。




「今年のお祭りの長坂の馬鹿、東町全町写ってる動画がアップされているよ!」とだいぶ前にお隣町内のI先輩から伺った。

この言葉を翻訳・補足すると、

「今年の(春の)お祭り(=弥生祭)の長坂(ながさか=神橋の社寺側の袂から勝道上人像前まで続く長い坂道。)の馬鹿(=馬鹿囃子。通常は子ども囃子だが、何ヶ所かは自由囃子が許されていて、大人が叩く。長坂もそのひとつ。)、東町全町(=「ひがしまち」は神橋より東側の「地区」を指す。よって数町内ある。)写っている動画がアップされているよ!」


という事になる。
この長坂は、お祭りにおける東町の一つの見せ場であるという声も聞く。
確かにそうだと思う。


で、その動画がこちら。(パート1、パート2で全町です。)








自分も写っている。2の方の二台目の屋台に拍子木を持っている。

さて、いかがだろうか。
屋台毎の着物の色でまず違いを感じると思うが、それ以外にも違う点がいくつもある。

<人>
屋台まわりの人数。年齢層。など。

<お囃子>
同じ曲を演奏しているのに、町内により微妙に(というか、絶妙に)違う。
テンポ、太鼓の音色、笛の音色、細かい節回し。

…あとは、屋台が坂を上がる早さとか(^m^)

挙げればきりがないのだが。

あ、そうそう。町印(ちょうじるし)と呼ばれる町内毎の印にも注目いただきたい。
詳しくはこちら▽
http://www.npo-nikko.jp/kihan/kihan_5_2.html


さて、何が言いたいかと言うと、もし日光弥生祭を訪れたらそんな違いを楽しみながら屋台と一緒に歩いて欲しいと思うのだ。
また、街を楽しんで欲しいと思うのだ。


「神事だから」と言われるこの付け祭りであるが、もうちょっと訪れた人が楽しめる工夫をしていってもいいのでは、と常々思っている。


あ、なんだかカタい話しになってしまった。

祭りは盛大に。
(安全に)楽しめれば良し。

こういう曳山祭りでは、よく言われるように、だいたいみんな自分の町内が一番だと思っている。

それで良いのだと思う。

従って、私も最後に言おう。

お囃子は手前町内「石屋町」が一番です。

…言っちゃった。


ともかく、来年も楽しみましょうぞ。日光町衆の皆様。



追伸:実は、弥生祭に来た方々に少しでも楽しんでいただける或るモノの準備をNPO法人日光門前まちづくりではじめようと思っています。
是非、よろしくお願いします。


※当記事では敢えて「屋台」を使用しています。

2013年8月31日土曜日

日々の雑感。



毎度未整理のままであるが、あれこれ考えながら忙しく過ぎていく。


ひと言で伝える危うさ。
言葉や絵に込めるべき情報と、その洗練。

俯瞰の必要性。
部分である自覚。


これまで何度も言っているが、
地域なり、そこにある人々の暮らしは、そんなに軽々しくはない。

あまりにもイージーな場面が目につく。

とはいえ、未熟な自分も精進するのみ。
しかし、ここでは見えているかそうでないかかが大きな差異なのだ。

…今日もSo What

2013年8月28日水曜日

仙台の街から〜思う事



仙台に再び(本格的に)住まって早1年2ヶ月。
昨年1月から仙台と日光を行き来する二点居住生活がはじまりましたが、昨年の春過ぎまではホテル住まい、もしくはマンスリーマンション、というような生活でした。

当然慣れもあるのですが、不思議なもので、今でもふとした瞬間に「仙台にいる」という状況がまるで夢の中にいるような感覚に陥る時があるのです。
どう表現していいのやら…という感じですが。
「自分は本当はここにいないんじゃないか?」というわけの分からぬ感じ。

その度に「暮らす」って何だろうな…なんて果てしない事を少し考えてしまって、また現実に戻り目の前の事にあたるのです。

まったく分からぬまま、ただ書き留める次第。

しかし、色々辿ると“縁”に行き着き、その度に密やかに感謝の念が。

…という事で今夜も「So What」で。

2013年8月5日月曜日

大子町でまちづくりの話しをしてきました。


727日(土)

茨城県の大子町で、まちづくりの話しをしました。




冒頭にお話ししましたが、大子は毎年日光から茨城の海に行く時に通った町で、「山の中に商店街がある!」と子供心に思ったものでした。含ワクワク。
(年にたった一度だけ連れてってもらえる海を、それは楽しみにしていたものなのです)

さて、「まちづくり」と一口にいってもテーマもアプローチも様々。
今回は「市民のまちづくり」に主眼を置いて、これまでの日光でのまちづくりの活動を紹介しながら、その活動から得られた実感などをお話ししました。

大子の町はコンパクトであり、周辺に里山がひろがる、これからの時代に引き継げる資源が豊富であると感じました。
もちろん課題もたくさんあると思うのですが。

気がついたら105分、ノンストップでお話ししてました。。(^^;
会場には様々な立場の方がいらっしゃっていました。そこに非常に大きな可能性を感じました。(既に取り組まれていらっしゃる方も、これからの方も。)

「一過性」に留まらず、「派手さ」に流されず、着実なまちづくりを。
お互い、しまっていきましょう。

笠井さん、木村さんありがとうございました。さんざん書いた通り、大子の町は素敵でした。同時に可能性も感じました。
お二人や参加された方が「やりたいな」と仰っていたアレは規模によらずオススメです。
また、是非。