2014年12月16日火曜日

北風と太陽



久しぶりのブログ。

ここ数ヶ月、北風と太陽の寓話を思い浮かべる瞬間がしばしばあった。

“まち”の懐の深さ。与える印象における「親しみやすさ」の重要性。
プロジェクトを遂行する上での、主に関係性における寛容性。

色々考えるも、つまり

目的に対して少数で尖らないこと。

なんだろうなと思う。
アプローチの違いはあれど。そして、フェーズの違いはあれど。

となると、様々な立場とその思いを見抜き、ささっと整理できることってホント大切。
(これらは成果として、それも即時的なものとしてなんとも言い表せない辛さ。)

奥田民生「イージューライダー」の最後の一節(五行ぐらい)が浮かぶ。

おおらかに、かつ、貪欲にありたい。
笑い飛ばしたい。

修行は、つづく。


今夜もSo Whatで。

2014年8月24日日曜日

みんなの居久根〜雑感〜




居久根の再生は、居久根(つまり樹木)そのものだけの事ではない。
暮らしやそれに関連する事抜きでは「再生」の道はないのだ。
むしろそちらを軸に考えなければいけないことは、去年からの「みんなの居久根プロジェクト」を通して良くわかった。

「楽しみ」って一見表層的に見えるけどそうではないんだよな、というのも、もう一つの実感である。

次の時代を担う世代で、またその次の世代の事を考えながら取り組めれば。




楽しみや喜びは大切だが、それを目的にした途端にプロジェクトは形骸化していく。
と、私は思っている。
燃料のようなものではあるが、ドライブする「本体」ではない。

さて、みんなの居久根 Goes on!!

2014年8月15日金曜日

堆積する




時間の積み重ねで堆積した、様々なものを感じる盆。

少し立ち止まって考えてみる。

普段歩きながら(もしくは走りながら)見えているものとは違った視座で見える。

大切にすべきは何か。
変わっていくもの、変わらずにいるもの。

少しゆっくりした時間の中で考えてみると、
余白を持たない論考には、力も魅力もない。魂も宿らない。
そんな実感がある。

連綿と続いて来た血脈と存在に感謝して。静かな休日が過ぎて行く。
(…と言っても仕事上の考え事は絶えないが。)

2014年7月30日水曜日

長崎で感じた事。〜さるくへ行ってきました〜

 
 長崎の「さるく」へ行きたいと思いながら数年経ってしまっていた。
 


 ここで行かねば機を逸してしまうのではという考えから、また、これまで日光の門前地区で日光マルシェなどの時に実験的に開催していたまち歩きツアーをレールに乗せて行くための準備として、7月の初旬に「半ば思い切って」長崎へ。
(まあ、我ながら気まぐれ。まるでこのブログのようではないか。)
 
 個人的に長崎へは2011年に仕事の関係で初めて訪れてから、またいつか訪れたいと思っていた。この時は時間が無く、さるくには参加できなかった。

 市電の走る長崎の街なかは、港と地形と道路、そこに重なり合い蓄積された文化が残って(または再現されて)いて、感心すると同時に好感も持てる。

 まちの醸す好感は、人とその生活により成立した姿である街並みによる所が大きい。

 私なりに「さるく」で感じたポイントを大きく3つ挙げてみる。


(1)文化や地域資源の多様性、多重性をコースや企画に活かしている
 
 まず、これについては、圧倒的である。まちの持つ文化的蓄積や、持つ「顔」が多彩である。
 一日目は眼鏡橋とその周辺(街なか)を巡るコースで、商店に立ち寄り試食があったり、おくんちの彫刻の修復現場や、べっ甲の工房も覗けたりと、盛りだくさん味わえるものだった。
 二日目は、グラバー園の周辺の散策であるが、グラバー園には行かないというコース。
 どちらも単純に観光目的で行ったとすれば、眼鏡橋やグラバー園を観て、観光したつもり、知った気分になってしまい、そこで終える事が多いと想像できる。
  しかし、周辺を丁寧に、地元の方の案内(言葉)で巡れる事は、本当の意味で「知る」ことであり、これぞ真の「観光交流」ではないかと思う。素晴しい。
 歴史軸のみに特化しないツーリズムの良さも充分に体感できたと思う。
 と、言ってもさるくのコースはまだまだ沢山ある。
 
 まちの「引き出し」「強み」を活かす事は、官民協働で取り組める良いテーマのはずなのだが、それを上手に事業として運営できている例は、実は未だにそう多くはないのではないか。
 公平性に固執せずに取り組む事もポイントだと気付かされた。







(2)「市民」の案内力を活かし、更に育てる
 
 旅先での事をイメージする。情報を得て目的とするものは意外と決まりきっているのではなかろうか。
 「着地型」などと言われて久しいが、ポイントは人にある。
 日常の偶発性もつきものなのだという事は、まさに「体験」せねば分からない事だ。その体験を「価値」に昇華している点も、感心するばかりである。
 場や人、情報を共有できることの価値は、今後更に見直されていくのではないかと思っている。
 長崎では調子づくことを「のぼせもん」と言い、またそういう気質があるそうだ。来街者に「伝えることの楽しみ」を知った市民に火がつき、拡がっていった事も目に浮かぶ。
 こうした市民の「自分のまちのいいところを知りたい、伝えたい」を追い風に、事業として位置づける事はまち歩きならずとも、大きなカギだ。
 当たり前の事。しかし、様々な取り組みを見渡すと、意外と「独りよがり」な事業だったりするケースが多い事も、冷静になって直視すべきだろう。
 当たり前の事がなかなか出来ないのも世の常である。






(3)仕組みの妙
 
 プラットフォームになる必要性をちゃんと理解し、体現している。(ように見える)
 少なくとも個人の観光では得られない情報や、立ち入れない空間へ行ってみること、そして(2)で述べた交流がある。「ここでしか」「ならでは」の一つだ。
 不思議と一瞬でも、自分もまちの人間になったような錯覚に陥る。それは、そのまちに暮らす人々の生活や生活風景を強くイメージする事から来る錯覚なのだろうが。

 起点は行政が仕掛けたものであっても、市民に浸透すれば、行政は黒子に徹する。
 当初狙ったポイントはハズレなく、芯を捉えていたという事なのだろう。
 そして、立ち位置を的確に理解していたからこそなのだろう。(つまり投資の仕方もと言う事になると思うが。)



 このようなスモールツーリズムは本来の意味での「交流」を生むのだと、再発見・再確認させられた視察だった。地にきちんと足がついたものに見えた。

 2005年の前後、日本中を「情報」として駆け回った某巨大博覧会の、いわばウラで「さるく博」が組立て、開催されていた事を考えながら、約10年後の2014年の今に再び目を向けると、足下や地面を大切にする事の重要さがより一層深いものに感じられる。


 「また来たい」という気持ちをどれだけ大切にできるか。


 という事を、日光のまちづくりを考える時に常に頭に置いて来たつもりだが、なかなかそれを実行できる場や機会、プロジェクトを作れて来なかった。
 今回の視察で、ヒントを沢山いただいた。これらを活かしたい。


…というわけで
 また、長崎へは視察にお邪魔したいと思う。


 さて、日光でのアウトプットへ向けて一歩一歩。

2014年6月6日金曜日

5月のキャンパスの蒼さ。


5月に訪れた母校のキャンパスの蒼さを、梅雨に入った今、振り返る。




十数年前に学生時代を過ごした「あの頃」からは、だいぶ木々も育って、それこそ言葉通り「土地に根付いた」感じを受ける。

毎年人が集まり、去って行く。
組織や人の集合は一定ではない。

当然の事ではあるが、根本たる理念が生きているかいるかどうかが「根幹」である。

変わるもの、変えるもの。
変わらずにいるもの、変えてはいけないもの。

動かすもの、動かさないもの。


どう見極めるかなのだ。


「大学は都市の中にある公園のようであって欲しい」

ある先生の言葉である。
つまり、誰でもいつでも寄れる場所。 ということ。

卒業から遠く離れて、この言葉への共感は深い。

我々の卒業時には「リ・ユニオン」という事も仰っていた。











集団が持続するというのは、大変な事だ。
周辺が大きく変わるとき、または自らを変えようとするとき。
大切なのは初心に戻ってみる事ではなかろうか。何度でも。
それはきっと、過去への固執ではない。


…なんかエモーショナル。いかんね。

そう、そう。ポエムじゃ何も変わらんよ。
しかし、そんな事宣う悲しきアジテーターに告ぐ。


自分の思いを語れん奴には、サスティナブルな関係性なんぞは到底作れんぞ。


考えろ。
そして、考えるな。感じろ。


今夜もSo Whatなのです。

2014年6月5日木曜日

ピクニック、楽し。



 「せんだいセントラルパークピクニック」が月に1回程度のペースで開かれている。
昨年のこの時期からはじまって丁度1年。広瀬川の河岸周辺と、街なかなどを概ねコンバートしながらの開催。

 先週末も絶好の日和(夏日)の中、西公園の源吾茶屋付近にシートを張って、休日のお昼を楽しんだ。

 自宅近所のパン屋でそのためのパンを調達し、シートを持って、現地に向う。

 仙台の街はこんな楽しみ方が「自然」に感じられる。
 楽しみ方、過ごし方が風景の一部となる









 夏のバーベキューも、秋の芋煮ももちろん良いけど、「普段のちょっとした楽しみ」の一つとしてのピクニックは凄く意味のある事だと思う。

…まあ、難しく考える事ではなく、楽しみ、なのだな。





(今後も月イチペースで開催予定です。参加希望の方はご連絡を。)

2014年2月4日火曜日

仙台の沿岸部から〜狐塚


仙台市の沿岸部、深沼の集落の少し北ににポツリと佇む「狐塚」という祠があり、津波にも耐え、残っていた。


2013年6月30日撮影


2014年2月2日撮影


震災後も残るその姿は、何か沿岸部の「あり方」を象徴・示唆するようだった。
(海側にヘリポートがあり、それで或る程度波が避けたのではという指摘もあるそうだ。)


最近見た同箇所は、木は切られ、祠が露になり、なんとも物悲しい様子。


同敷地を嵩上げ道路が通る事となっている。
そのため、移転するのではないかと私は思っているが、正確な情報は得ていない。

木はその姿だけでなく、その土地の歴史や記憶を残している。

津波の襲来から奇跡的に助かったこのこんもりとした微高地(と呼べるかわからないが)は、それこそ「メモリアル」としての価値があったのではないかと思う。

安全・安心に関わる施設と、地域を考える上で「それ(安全・安心)以外で必要である事」とのバランスには大きな分離が生じている。
防潮堤、津波避難タワー、嵩上げ道路。それぞれその事業単体で語られて進められてきたので(というか、進行形)、歪みが出てきている。

まちを「総じて語られる事」があまりないのが各地域の実情ではないかと思う。

答えの出し方が性急になるし、多面的な検討もなされないまま各事業やプロジェクトが進んで行く事に危機感を覚える。

こういう姿を見る度に、もうちょっと真の意味で「連帯」した取組みができぬものかと思うのである。

2014年1月11日土曜日

承認欲求

日光での話し。

市の主催する「賀詞交歓会」というものにここ3年程(招待をいただき)出席している。
今年も先日開催されたのだが、この席上の挨拶で某議員から以下のような主旨の言葉があった。


「合併した広大な日光市で、まだまだ(合併以前の)地域間の交流や理解が足りないと思っている。市でも様々な事が起きており、課題もあるが、『自分は使わない施設整備だから知らない』とか『遠く、どうせ行かない場所だから知らない』という事でなく、同じ日光市なのでもっと自分の地域以外にも目を向けて欲しい。」


前段の「交流、理解の不足」の指摘については、賛成だ。
ひとつとして扱う事と、地域の特性や、コミュニティの単位として扱うこと、つまり、無理に「ひとつ」と言わない事の両面を心がけるべきは当然。
しかし、これができていない。
交流・理解は決して大きな予算や労力を必要とする事ではないはず。やり方次第だ。大切な事が足下に転がったままになっている。そういうように私には見える。

さて、問題は後半の部分。
これは興味の問題、市民意識の問題と言える。
施設整備となると、中心市街地活性化にまつわるアレの事が想起され、この挨拶の場でも8割方それがわかるような言い回しだった。(笑いというかほぼ苦笑がおきていた)

よって、中活のアレを想定して考えてみよう。

前述の「意識を嘆く」一方で、説明責任、事業の進め方はどうだろうか。
あまりにも性急で、意図や効果を明確にできていない事業や、その地域の当事者の熱意や検討の積み重ねの見えぬようなものに、誰が理解を示すのだろうか。

現状では、単なる承認欲求の一人歩きに他ならない。

だから、今回の件は、議員の言葉としては苦しいと思う。
では、どのように意識づけをしていくのか。それは誰の仕事か。
市民の所為にするのは簡単であろう。

・プロセスが見える場、ディスカッションの場の欠落
・地元主導でない事業(少なくともまわりにはそう映ってしまっていること)
この二点が大きな原因だと思う。

事業まかせ、施設まかせ、行政まかせで活性化するなんでイメージはとっとと捨てるべき。
「まちづくり」はそんなイージーな事ではない。


課題は各地域に落ちている。


今回の事は良い例だと思う。
「自分のまち」を考えるきっかけとして。

それにしても、高い買い物(というか、誂え?)だとは思うが。


今夜もSo Whatだな。


2014年1月7日火曜日

なんか、見えてきた。



ちょっとした対話でも見えて来る事がある。

本を読むと、普段の「自分なりの気付き」や「うまく言葉にできないモヤモヤ」が見つかり、ハッとする事が多い。
(もちろん「本当にそうかな?」なんて斜めに見ながら読んでいる事もあるけども。)

経験を踏まえた「ひと言に込める」迫力と、重み。
その言葉の使いどころもまた重要なのだ。

先達の知恵。受け継ぎ、次世代にどうバトンタッチするか。
大変な作業だと、改めて思う。

表層ではなく、一度は深く潜る必要があるわけだ。



今年も駆け抜けよう。

あ、初心がどこにあったのかを忘れずに。確認しながら。 


そんなわけで、今年もSo Whatで。


そう「だから、なに?」で。