2016年4月27日水曜日

天災は忘れぬうちにもやってくる。

日光の春祭りでバタバタしている間に、九州、特に熊本や大分が繰り返す地震により大変なダメージを受けていた。
心よりお見舞いを申し上げると同時に、これ以上、あらゆる被害が拡大しないことを祈りたいと思う。

特に復旧期においては、フェーズは刻々と変わり、良かれと思う事が裏目に出てしまうことも多い事。
また、支援の形、応援の形もそれぞれであることは東日本大震災から5年で証明されていると思う。


田老の防潮堤の流失部分(2011年10月16日・筆者撮影)


ある面では、急ぐべし。
しかし、すべては急ぐべからず。

という事ではないかと思う。

正義は振りかざすものではないし、善意は押し付けるものでもない。
また、「できない」ことを非難・否定するような行為は全てを台無しにする「愚」である。

できることをやればいい。
強いるものではない。

支援、強いるべからず。
といったところか。

東日本大震災から、たったの5年。

天災は忘れた頃に…
とは寺田寅吉の言とされるが…


天災は忘れぬうちにもやってくる。


まったく悔しい事である。
その悔しい思いをどうにか残そう・伝えようと先人の努力はあったのも事実。


唐桑町鮪立の「大震災記念」の碑。
「地震があったら津浪の用心」
昭和8年の津波の後に建てられたもの。
(2016年3月19日・筆者撮影)


「防災省」の設立を提案する声もあるとのこと。賛成である。

繰り返すが、これ以上、あらゆる被害が拡大しないことを祈りたいと思う。
そして、現場で支援に奮闘されている方々に敬意を表したい。



ところで、途中になっている震災関係書籍の紹介記事は、ポツリポツリと更新していきたいと思う。

今夜もSo Whatで。



追記:
最後まで書いてから、もう数十年前に大分の久住高原で日本ジャンボリーというボーイスカウトの大会があって、当時高校一年生だった自分も参加したことを思い出した。
22年前である。立地や地理的などは気にせず参加していたのだが、雄大な高地に草原が広がっていた、とても清々しい場所だったことは記憶している。


追記2:
2枚目の写真の碑について、丁寧な調査DBがあった。岩手県は宮城県よりもこうした碑が多いそうだ。
調査・研究に敬意を表しつつ。

■宮城県津波碑DB(立命館大学歴史都市防災研究センター「津波碑調査ー明治・昭和・チリ津波と平成大津波ー」より)
https://www.google.com/fusiontables/DataSource?docid=1RVIN5td3OPZwhfDfIoU17U2RWAiDTKUw5-PYv8c#rows:id=1

■宮城県津波碑分布図(同センターによる)

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