2018年3月15日木曜日

東日本大震災から7年(備忘録として)

気仙沼の安波山より (2018年3月10日撮影)

■過ごし方
 震災から7年の2018311日は、休日に当たった。2012年以来のことだそうだ。
 この前日の10日は、(突発的に)気仙沼に1泊で出かけてみたのだが、当日の11日については、今年は予定を入れずに過ごすことにした。

 疲れも溜まっており、ゆっくり過ごせたことは良かった。
 しかし、困ったことに、じっくり考える“隙間”ができてしまった。
 …できてしまった、ということは、これまでずっと考え無いようにしてきたことや、向き合わないようにしてきたことの、所謂「蓋をあけてしまった」という感じだ。
 なんとなく、平日の仕事の合間に訪れる311日の方が良いと思ってしまった。
 あくまでも、個人の感想である。

 ゆっくりと7年前当時やこの7年間を想い、偲ぶことができて良い、という事もあるだろう。
 思い出したくない、という事もあるだろう。
 個人の中にそっと仕舞われた思いはそれぞれ大きく違う。

 7年目の311日。仙台は、晴れて穏やかな1日になった。
 私は、勾当台公園市民広場で黙祷した。


2018年3月11日 仙台市青葉区の勾当台公園市民広場に集まる人々


■復興まちづくり〜「関わり」と「立ち位置」
 復興のまちづくりを「手伝う」立場というのは、じつに曖昧なものあり、時には陰に、時に日なたになり、応変に立ち位置を調節する事も必要とされる。基本は「影」の役割なのだと思うが。この「調節」がけっこう難しいという実感は大いにある。
 また、人の間で行われるまちづくり(活動)は、人間関係の調整も非常に重要であり、地縁組織やその関係者だけではその調整が難しい局面は、実は多い。

 そんな調節や調整を繰り返しながらの7年という時間は、あっという間であったようにも、長かったようにも感じている。
 様々な事が実に未整理のまま、グシャグシャとここまで来てしまったような気がしている。
 その場その場での「優先」がありすぎて、バタバタと動き回っているうちに7年もの月日が過ぎてしまった。
 仙台と日光を往復するパラレルライフは来年度も続くことになるのだろうが、一つの区切をつける必要もある自覚はある。

 物事(プロジェクト等)は一生懸命になればなるほど、当初の目標や目的を見失ってしまう事がしばしばある。ことに、まちづくりにおいては、主役はだれか、という事が忘れられたり、目的と手段が入れ替わったり、つまり大切な事が置き去りになるケースが多い。
 最終的には誰のための、誰による活動なのか、という問を常に、もしくは定期的に確認してみる必要はありそうだ。
 帰着先はどこなのか。意識しつつ平成30年度は収束させたいと思う。

■復興事業の「プロセス」の重要性
 仙台の沿岸部や、気仙沼、南三陸などで進む土木作業を主とする復興事業は、大きく動いている事が見て取れる。特にここ12年のピッチの上がり方は大きかったし、今後も加速するのだろうと思う。
 思い切って言うと、事業が決まればその先は、アルゴリズム的に進む。一気に。
 この様子を見ると、こうした事業は一旦決定し、着手されれば成し遂げられるということが分かる。特に現地に立つと、肌で感じる事ができる。
(もちろん、作業にかかる労力は大変なものであり、従事する方々にも敬意を表すべきものだと思う。)
 これは、事業化するか(もしくはしないか)、事業の計画を立てるそのプロセスがいかに重要かということと裏表の関係にあるとも言えよう。
つまり、事業計画と決定のプロセス、計画づくりへのコミットと合意形成の大切が再確認できるということ。
 緊急性が高い時程、このプロセスを確保できるシステムを、この震災を教訓として整備されても良いのではないかと思う。

 阪神淡路大震災の後、NPOの活躍や市民活動の醸成があった。
 コミュニティの維持や修復作業も大きな役割であるが、事業、特に行政の計画や対策と市民の意見の擦り合わせができる、「立ち位置」や「役割」の確保の必要性が、この東日本大震災を機に得た事ではないかと思う。


仙台市若林区の狐塚(2017.12.7撮影)


■災害と復興
 さて、この7年の間には、東北以外の地域で豪雨や地震などの災害も多く起こった。最近は火山活動の活発化も見える。
 すっかり「被災地」という言葉も、場合によって東北以外の各所を指すようになった。
 日本の災害史関係の書籍を読むにつけ、日本は多発する災害に向き合い、いなし、その度に復興を遂げてきたかがわかる。なにより、その「繰り返し」であった事がよくわかる。

 仙台の或る方との会話の中で、
「直接的に津波の被害に遭っていなくても、余震含めてあれだけの揺れを味わって、眠れない夜を過ごしたり、ライフラインの断たれた生活を余儀無くされたりしたのだから、みんな被災者」
 という考え方を聞いたことがある。これは確かにその通りだ。
 前述のように、そっと仕舞われた思いはそれぞれ大きく違うのだろう。
 しかし、緊急時の優先度こそ違え、被害の度合いによる傷の濃淡は徐々にではあるが、稀釈されつつあるようにも感じる。

 メディアの特集等は、私はあまり見なかった。
 例え一時期であっても、「忘れない」「震災から◯年」などと銘打って特集やニュースになることは、もはや、それでも良いと思えている。

 私の手伝う地域は、生活の再建がだいぶ落ち着いてきたように見受けられる。
 そのようなフェーズであるので、本来の「復興のまちづくり」は、これからなのかもしれないと、時折考える。

 そもそも「復興」とは何か。引続き考えたい。
 忘れてしまわぬように。

今夜もSo Whatで。

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