2015年2月19日木曜日

読書記001:「更地の向こう側 解散する集落「宿」の記憶地図」東北学院大学トポフィリアプロジェクト【震災関連】

読書記をつけていこうと思い立ち、数年過ぎてしまった。
重い腰を上げ、よくやく一冊目を。


東北学院大学トポフィリアプロジェクトによる「更地の向こう側 解散する集落「宿」の記憶地図」




気仙沼の唐桑、宿という約60世帯が暮らしていた集落は2011年の東日本大震災の津波被害に遭い、災害危険区域(※)に指定され、解散することとなった。

震災の年(2011年)、昭和40〜50年代、昭和30年代とそれ以前の記憶地図が描かれるほか、その時代にあった生活の様子を聞き書きによりつなぎ合わせている。
聞き書きを基に書かれる丁寧なイラストと文で、記憶を残す意味と価値が十分すぎる程、また痛い程に伝わって来る。
海と共に集落に活きる人の暮らしが克明に記され、そこには「温かみ」が感じられるからだ。
生活の知恵や自然との付き合い方も窺い知れる。
海と 神社、祈り。祭り。
水道が引かれた時、木炭のバスが通った時、その時の記憶。
木造校舎当時の学校の校庭に水を撒いて凍らせ、スケートを楽しんだエピソードや、集落内に隣同士の鮮魚店と酒店があり、酒店で飲んでいた客が隣の鮮魚店に肴を注文、なんて場面も日常的であったなんていう記録も。

どれもが生活を切り取ったもので、匂いや感覚までも共有できそうだ。

本書は社会学者を筆頭に、経済学者、人類学者、農村社会学者、建築学者、福祉社会学者 、イラストレーターなどのプロジェクトチームによって書かれた記録集であり、様々な専門性の持ち寄りから多面的な聞き書きを可能にし、それが 深みのあるものにしている事が想像できる。

The Times They Are a-Changin' 
時代は変わる

気がつけば、風景はいとも簡単に喪失している。
徐々にではあるが。

都市の日常は加速し、それがいとも当たり前のように映るのは、もどかしさの極みである。
(もちろん、震災の被害と単純に比較するべきものではないが)

だからこそ、存在と記憶の記録が必要なのではなかろうか。

もうすこし、丁寧に。
もうすこし、記録のスペースを空けて。

そんなイメージが必要なのだと思う。

久しぶりに手に取ったが、帯の「いいとこだったんだよねぇ」が、改めて胸に迫る。

震災からもうすぐ4年。
そこにあった「暮らし」 を本書でもう一度、静かに振り返ってみることの意味は大きい。

「おわりに」にはこうある

宿 浦の方々の声のなかに、震災時および震災前、そしてさらには60年以上前の過去の姿を思い描くことは、ひるがえって現在の更地の60年後にあるかもしれない風景を呼びおこすことでもあったということです。約60年前の宿浦は明治三陸大津波(1896年)の60年後(1956年)にも該当するからです。

人口や社会的課題など時代背景は決定的に違う。
しかし、変わる時代のなかに、循環と可能性を見いだすことの重要性も忘れられがちである。



※震災から4年の節目の日が近づいていることもあり、しばらくの間は震災関連の図書を中心にとりあげていきたいと思う。







※災害危険区域:地方公共団体は,条例で津浪,高潮等による危険の著しい区域を災害危険区域として指定するとともに,同区域内における住居の用に供する建築物の建築の禁止その他の制限で災害防止上必要なものを条例で定めることができるとされています。(建築基準法第39条)宮城県のサイトより
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/kentaku/saigaikikenkuiki.html

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