2015年2月3日火曜日

大きく変わってしまうきっかけの大概が「点」である。

今回の事を「自己責任」として責め立てるのは、あまりにも冷たくはなかろうか。
しかし、一方で死が悼まれるのは当然の事にせよ、「勇気」といった言葉で賞賛されるのにも若干の違和感を覚える。
ただ、痛ましく、悼ましい。
本来、「社会」を考慮した上での意見か、「個」を考慮しての意見かという二分論でもないと思うし、この際、左右白黒のお安い「主義的」話しでもない。


敵か、味方かのような単純論では語りたくない。
見過ごしてきた難解さを孕んでいる。目をつぶって来たと言った方が的確か。


ひたすら心配なのは政情で、一本の線が引かれているのではないか、ということと、心の奥底でほくそ笑んでいるのではないか、ということ。
これまでの言動からすると、多分に疑わしい。
多くの指摘が或るとおり、今のところ勇敢に見える言動は、いざという時に何の役にも立たないのではないかと思う。つまり「今のところ」であり「その場しのぎ」なのだ。
これは何も最高責任者一人に限った事ではない。


いずれにせよ、私たちは小さい「個」である。
ふとした事で容易く命を落としてしまいかねない小さな存在である事を、本当はよく知っているはずの「個」である。
そういう悲しみは日常に転がっているではないか。


大きく変わってしまうきっかけの大概が「点」である。
歴史の中から一体何を学ぶのだろうか。


或る部分では細く長い、或る部分では大きな亀裂が延々と続いて行く。
そんなイメージは、やはり変わらない。
繰り返すが、敵か、味方かのような単純論では語りたくない。


思い出して欲しい。
常に予報を気に留めていないかぎり、もしくは常に傘を持っていないかぎり、天気は知らぬうちに変わっており、雨に降られる。


何かが今、ねじ曲げられている音がする。

真実か。それとも傘の軸骨か。

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