2011年11月30日水曜日

ちょっとした面影・名跡を遺す


2003年の暮れに日光へ戻った。それまでは仙台にいた。
日光へ戻って最初の私への依頼は或る横丁のまちづくりだった。
「何かしたいが、さてどうしたものか?」という


それは、大横町。
下鉢石町にあって、大通りから北に伸びる横丁である。
突き当たりに小判稲荷という小さな神社がある。
昔は店舗も並び、生活の中にあった横丁が今では店舗も減り、大通りからの「一歩奥感」があり観光客の導線も見込めない・・・という悩みを抱えていた。

横町の突き当たりにある「小判稲荷」


手始めとして、この横丁の謂れを編み、記したらどうかと提案させていただいた。
これを大通りとの交点、稲荷のあたりに表示しようということ。

近くのお寺さんなどから古い資料をお借りして、編んだ。
数冊の資料をお借りして、バラバラになっている歴史軸を一本に編み直す作業から入った。
意外と綺麗に1つにまとまっている書物はなかなかないようだ。

・看板なので、なるべく簡単に。
・わかりやすく。

を心がけたつもりだ。




「ここは江戸時代、東照宮に奉仕する八乙女達が多く住んでいたことから、八乙女横町と呼ばれていました。
 一六六二年(寛文三年)の稲荷川の洪水により流失した火の番屋敷がこの大横町に移されたことから「火の番横町」とも呼ばれるようになりました。
 この時代、大横町は大きな活力と賑わいがあったと想像されます。
 その火の番を命じられたのが「八王子同心」と呼ばれた人々で、八王子から日光に交替制で勤め、その後約二〇〇年もの間社寺を守る大きな功績を残しています。
 このように、この大横町は現在では世界遺産となった日光山の社寺を守る基点となった場所なのです。」

横町を入り、小判稲荷のあたりまで来ると日光連山が見えるスポットに。
・・・天気が良いともっと綺麗に見える(^^;




特に大通りとの交点では、かなりの人が立ち止まって読んでいただいているようだ。

街なかに埋もれている史跡は多い。これまであった姿を知る為にもこういう作業は必要なのだと思う。

今では日光マルシェの会場としてこの横丁の酒屋さんの前をお借りしているが、課題は山積。

掘り起こしながら、もっともっと盛り上げていきたいものだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿