2011年12月1日木曜日

あるものを使おうぜ。



消えては持ち上がり、そして知らぬうちに完成してたりするおかしなハコモノの話し。

特に公共施設については、未だに本当に「誰が使うの?」と「何のため?」を忘れて単なる政治的な力だったり、わけのわからん公平原理で作られたりしている。予算消化などは犬も食わぬ。

くどいが、未だにだ。

だいたいからして、波風立たんようにやろうとするパブコメなんて意味は無い。
ブラックボックスの中で組み立てられた施設が生まれ落ちたとして、その幸せは望めるだろうか。
地域は幸せなのだろうか。

これって、作って完成する事に目的があるんじゃなかろうか。
冷静に考えれば、それがスタートであり肝はどう使うかなのだ。

そんなこと忘れて無尽蔵に「新しいもの」を求め作ってきたこの数十年。
いや、見方を変えればもっと前からか。

その残骸と言われるものはゴロゴロしているわけだけど、どうもまだ望みは深いらしい。いや、欲は深いらしい。
いやはや。

先ずはさ、あるものを使おうぜ。

時代の価値観はそういう所にあるのは明白なはず。

私は新設を否定しない。
しかし、それは相当な覚悟と時間と労力がいるという「本来」の話しが欠落しているのではかろうか。
政治力でどうにでもなるなんてイージーな考え方をしている層の多さには正直辟易する。

ぶっ壊してピカピカを作るという「いい時代」の価値観を何にでも当てはめるような真似はいい加減お止め頂きたい。

もう一度言う。

あるものを使おうぜ。

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